神の視点

私がモーニング娘。をいいなーと思い始めたのは01年後半ぐらいで、CDやDVDを買うようになったのは
03年からである。
それ以前からも知っていたが、そんなに興味がなかった。


便利なもので、インターネットの不思議な力で、彼女たちが出演した過去の番組が見られるようになり、
私は「ASAYAN」のオーディションから追体験することができた。
そうすると、当たり前だが私は現在までの結果をすべて知っていながら、一喜一憂するモーニング娘。
の初期メンバーたちを見るわけである。


この子は脱退してしまうんだな、とか、結婚して子供を産むのかー、とか思いながら、唄ったり踊った
りする女の子たちを見ていると、なにかしら神様の視点に近いような気がした。


しかし、こういう能力があったとしても、普通の人は持て余すだろう。
例えば、目の前の人がいつどのように死ぬかも分かってしまうわけである。
それが自分の妻や子供でも、正気を保っていられるだろうか。


ジム・キャリーの映画で、神の能力を手に入れた男の話があった。

モーガン・フリーマンが神様役で、あらゆる願いを瞬時にかなえてしまうのだが、ジム・キャリー
ほとんど自分の欲望のためにしか力を使わない。
それでも、神様に対する願いは毎日膨大な数が届けられており、書類にすると部屋が埋まってしまうから
パソコンで閲覧できるようにしたのには笑った。


この映画でも、やがてジム・キャリーは神様の仕事が自分のキャパシティーを超えていることに気がつき、
その能力を返上したと思うが、まともな人間なら誰だってそうするだろう。
独裁者は、その意味で、心が壊れている人にしかなれないと思う。


ただ、「ASAYAN」を見て思ったように、現在どうなっているのかを知っていて、過去にあったことを見る
ときは、なんともいえない優越感にひたることができる。
すでに全ての運命が決まっている者の人生を安心して楽しむとでもいうのだろうか。
これが歴史を読むときの面白さなのかもしれない。


つまり、歴史を楽しむには、結末を知っていた方がいいということだな。
NHK大河ドラマが好きな人は、たいてい全部の出来事を知っているはずである。
例えば、織田信長の生涯をまったく知らずに、ドキドキしながら見ている人っているのだろうか? 
それはそれで幸せだろうけど。


若者が歴史を好まないのは、まだ結末を学んでないからかと思われる。
それよりも、自分を含めてまったく予想がつかないドラマの方が楽しいのだろう。
明日に希望が持てる生き方をしているのが若者ってことか。
私は心も身体も、完全にオッサンだ。


本文と写真はまったく関係ありません

歴史の知識がある若者の一例