ホワイトカラー・エグゼンプション

私にはまったく関係のない話題なので、何も興味はなかったのだが、賛成派が言うには、この
仕組みを導入することで仕事と家庭に使う時間のバランスがとれる→余暇が生まれるらしい。
いやいや、それは絶対にないでしょう。


人間はこれまで、たくさんの便利なものを発明してきた。
もはや新幹線やコピーやファクシミリや携帯がなければ仕事にならないだろう。


これらの道具は、時間や空間を限りなくゼロに近づけるためのものである。
例えば、新幹線は東京と新大阪の間を約2時間半で結ぶが、以前はもっと時間がかかっていた。
ファクシミリやデータ通信以前は、郵送か直接持って行くしか方法がなかった。


では、これだけ便利になったのだから、余った時間のんびりできるようになったか? 
答えは×。
余った時間も仕事が入ってくるようになったのである。


なぜなら、人間の欲望には限界がないからで、便利な道具はやがて限界まで人間を追い込むよう
になった。同業他社がやっているのだから、自分だけのんびりしてはいけないし、納期はますま
す厳しくなる。


いったい生産性をどこまで上げれば気が済むのだろうか? 


私はもう十分に便利な世の中だと思うし、これ以上なにかを求めることは本質的に意味がないと
さえ思っている。
どのみち石油が枯渇すれば、スローダウンせざるを得まい。
(ジェット燃料以外でジャンボ機クラスの飛行機を飛ばす技術を我々は持っているのだろうか?)


いま政治経済を牛耳っているのは、異常に強欲で異常に頑強な人々である。
自分がそうだから他人もそうだろうと考える、あまり想像力のない方々でもある。
たぶん、自分たちは多数派だと思っているのだろうが、断じて違いますよ。
ほとんどの人は、死ぬほど働きたいとは思いません。


国際競争力なんて、しょせん米国の一部の企業だけが儲かるカラクリだろう。
ウソだというなら、なんで日本はせっせと米国債を買い支えているのか説明していただきたい。
そんなもののために必死で残業するなんてバカらしいではないか。


我々が便利さを我慢さえすれば、今よりものんびりした世の中になると思うのだが、ジョン・レノン
の“イマジン”をいくら唄おうが平和にはならないのと同様、クラッシュするまで過剰労働は続く
のだろうね。


本文と写真はまったく関係ありません

時間給では換算できない仕事の一例