年賀状

父親が出す年賀状は、5年前から私が作っている。
今日、だいたいのデザインができたので、あとは細かい調整だけだ。
老人が出すものなので、なるべく渋いやつにしないといけない。
住所録は毎年のことなので追加登録もほとんどない。むしろ、亡くなる人が多い。


来年は亥年なので、イノシシの絵を使ったのだが、本当の干支は猪ではなく豚らしい。
まあ、野生のイノシシを飼いならしたのがブタだから同じといえば同じだろうけど。
そういうウンチクは、元旦の新聞に嫌と言うほど載っているな。


ところで、私自身は年賀状を出さない。
高校生のときから出さなくなったから、もう20年ぐらい経つ。
といっても、来たものだけには返事を書く。
そうすると、次の年からは来なくなる。


別に、虚礼だから出さないという確固とした考えがあるわけではなく、ただ面倒くさいのだ。
山本夏彦は、虚礼結構、年賀状は出すべし、とエッセーに書いていて、お中元お歳暮などの
贈答も大いに結構とある。
確かに、そういう細やかな心配りが人間関係を繋ぎとめているのかもしれない。


事実、私は年賀状をやりとりするような人がほとんどいない。
5枚も出せば終わる。
かってに改蔵」の羽美ちゃんみたいだ。心の闇。


数年前、塾講師だったときは、生徒から年賀状が来た。
小学生の年賀状などは、けっこう可愛いもので、さすがにこれはきちんと年賀状を印刷して
返事をした。


私が中学生のころ、好きだけど口もろくにきいたことない女の子に年賀状を出したことがある。
返事は帰ってきたけど、それで仲良くなるとかいうこともなかった。
その返事の年賀ハガキを、まるで宝物のように扱ったのを憶えている。
我ながら痛い思い出だ。


たぶん、可愛い子には、そういうキモい年賀状がどっと来るのだろう。
返事を書いてくれるだけ、誠意があったのかもしれない。
最近の中学生はどうなんだろうか? 
年賀状ではなく、メールで「あけおめ ことよろ」とやりとりしてるのだろうか? 


まてよ、私が中学生だったときは、クラスの名簿がちゃんと配られており、その子の住所も
簡単に分かったが、今は住所や電話番号などは知らされてないかもしれない。
メルアドだとフツーに手に入るのかな。


バレンタインデーのチョコレートもそうだけど、こういう恋愛がからんだものになると、なぜか
年中行事になってしまい、いつの間にか定着するのが日本人の不思議なところだ。
逆に考えると、恋愛がからんでなければ、あまり盛り上がらない。ハロウィンとか。


いや、年賀状でそういうさや当てをするのは中学生ぐらいなもので、ほとんどは会社の取引先の
人とか親戚とかなんだろうけどねw


そうそう、プリントゴッコって今でもあるんだろうか、と思ってググッてみたら、ありました。
でも、昔のままの装置ではなく、全く別のマシーンになっているんだとか。
あれはあれで味があったのだが、いまやプリンター全盛期だからなぁ。
エプソンキヤノンは、年賀状需要でどのくらい儲けているんだろう? 


本文と写真はまったく関係ありません

从´∇`从<今年の年賀状は、熊井ちゃんのイモ版だ!
川;^∇^)||<せめて自分の顔、彫りなよぅ‥‥