運動会

私が卒業した高校は運動会が派手というか盛り上がる学校だった。
全校生徒を学年に関係なく4グループに分け、それぞれのグループ対抗で得点を競う。


グループごとに、「やぐら」と呼んでいた3段ぐらいの応援席を運動場の周りに建て、
「人形」と呼ぶ4mぐらいのオブジェをつくり、応援席の後ろに「パネル絵」という
縦3m×横15mぐらいの細長い絵を展示する。
この準備に夏休みの一部を割いて、全校生徒が係わるのだった。


しかし、私は運動会に参加したいわけではなかった。
ひねくれていたので、みんなが青春してる中に飛び込むなんてことは絶対にしたく
なかったのだ。


いま思うと、全校行事を仕切るという作業は、就職するときなんかに絶対に役立つ
経験だとは思うが、私はそういうことにちっとも頭がまわらなかったので、ただ
面倒くさいと思ってダラダラしていた。


ところで、高校生のときの私は教師の似顔絵を机や黒板に描いており、ちょっと
だけウケたので、調子に乗って他のクラスに出張して描いたりしていた。
この噂をききつけたグループのリーダー(グループ長という)が、私にパネル絵を
描いてくれ、と頼んできた。


パネル絵は、全部で3パターン作る予定らしい。そのうちのひとつを私に任せると
いう。何を考えておるのだろうか。
本来、パネル絵というのは美術部の人がアートっぽい絵を描くのが本筋である。
私は新聞部のスチャラカ部員だというのに。


私のクラスが属していたグループのグループ長は、Tくんといった。
Tくんは私に
「今までのパネル絵はつまらんけん、なんか面白いことがしたいんよ」
と言った。
よせばいいのに、私は
「じゃあ、先生の似顔絵で4コママンガでも描くか」
と乗ってしまったのである。バカ、俺のバカ! 


そして、Tくんと相談して、白黒の巨大4コママンガを私が描くことになってしまった。
私はそのとき何も知らなかったのだが、こういう無謀なことを、グループの他の幹部は
気にいらなかったらしく、Tくんはずっと私をかばっていてくれたらしい。
ありがとう、Tくん。


しかし、今まで内輪ウケの4コマなら描いてきたものの、大勢の生徒が分かるような、
新聞の4コママンガみたいなものは考えたこともなかったので、なかなかアイデア
出なかった。
そこへ、グループのパネル絵のリーダーのDくんがふらっとやってきた。
おそらく、グループ長がそっと応援してやるように指示したのだろう。
美術部でもあるDくんのおかげで、なんとか4コマができた。


さて、これを拡大して実際に黒のポスターカラーで描かなければならない。
元の絵を方眼紙で区切って、それを実際のサイズに合わせてトリノコ用紙に引き写していく。
この作業だけで何日かかっただろうか。手伝いに来てくれた友達が指示通りにしてくれない
のでケンカになることもあった。(←なんだかんだで青春してるのである)


ようやく運動会に間に合い、私のパネル絵はお昼すぎに披露されることになった。
ところが、4コマにもかかわらず、左から順番にパネルがオープンせず、両端から開いて
いったものだから、マンガとしてのインパクトもなく、しかも貧相な白黒の絵だったため
評判は最低だった。冒険しすぎたのだ。


実は、グループの総合点にはパネル絵の評価も入り、教師たちが判断するのだが、当然
似顔絵を描かれた先生たちは面白くなかっただろう。
私のいたグループの評価は高くなかった。


私はグループの優勝なんかどうでもよかったのだが、運動会をファナティックに取り組んで
いた人たちには、優勝を逃してマジ泣きしている人もいた。
非難の矛先は、幸い私には向かなかった。Tくんのおかげかもしれない。


パネル絵は、運動会が終わると焼却処分されてしまうので、たいてい誰か写真に撮って保存
してくれるはずなのだが、全グループの中で私のパネル絵だけは誰も写真に撮っていなかった。
当時はなんか納得いかなかったのだが、いまは記録に残ってなくてよかったと思う。


明日は、私が卒業した高校の運動会がある予定なのだが、夜中から雨が降っているので
延期になるのかもしれない。
パネル絵で4コママンガを描いたのは、後にも先にもないはずだ。


06年の運動会の写真