「関係の空気」「場の空気」

「関係の空気」 「場の空気」 (講談社現代新書)

「関係の空気」 「場の空気」 (講談社現代新書)

この人のコラムはメールマガジンで毎週読んでいるのだが、著書を読むのは初めてだ。
丁寧な論旨は分かりやすくてよかった。


この本によれば、日本語には二つの特徴があるそうだ。
ひとつは一対一の関係における「関係の空気」で、もうひとつは集団における「場の
空気」というもので、空気=そこに醸し出される雰囲気が、意思決定を左右している
のではないか、という話だ。


日本語は、本来もっと伝達能力が高い言語のはずなのに、一対一の関係においては
その伝達能力が失われ、集団においてはクールな判断が許されないような一時的な
狂乱を生み出しているのだそうだ。


そこから、社会のいろいろな現象を「関係の空気」と「場の空気」の理論で斬って
いるのだが、なるほどと納得する部分もあれば、ちょっと違うんじゃないかなぁ、と
思うところもあった。
これで全てが説明できる、という話には、とりあえず距離を置いた方がよさそうだ。


ところで、この本には明記されていないのだが、その場の雰囲気・様子を察しろ、と
いう意味で「空気読め」という言葉を流布させたのは、ダウンタウン松本である。
たぶん、関西では昔から言われていた言葉だろうが、ふだん使う日本語として定着
させたのは、松本人志で間違いないと思う。


(同時期にとんねるずは、イキフンという言葉を、空気と同じ意味で使っていたと
思うが、私の記憶違いかもしれない)


昔から、日本人は流行語やスラングが大好きで、芸人が作ったギャグなどもたくさん
あったのだが、生き残る言葉は少ない。
というのも、芸人の地位が一般の社会人よりも低く見られていたからではないか。


ところが、ビートたけし以降、芸人の社会的地位は向上した。
(いや、全体が向上したというよりも、一部の芸人が突出するようになったと言うべきか)
現に、ビートたけしの「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という言葉は、ことわざの
ように定着している。


それは、木梨憲武の「お約束」「〜みたいな」や、松本人志の「熱っ・怖っ」という
形容詞の語幹だけの言い方、「イラッとする」「ブルーになる」という言葉も同様で、
芸人でもない普通の人が日常会話で使っているはずだ。


テレビで芸人が発した言葉が、日本語を変えていく現象について、誰か専門家は指摘
しているのだろうか? 
断っておくが、私は「美しい日本語」というものをあまり信じてないので、芸人の
言葉が定着したからといって、日本語が乱れたと思っているわけではない。


糸井重里が、妙に松本人志に接近しているなぁ、と思ったことがあるが、広告のプロは
松本の言語運用能力のすごさに気づいていたからかもしれない。


笑いというのは、その背景にある文化や言語に依存しているので、共通の基盤を持たない
人同士では、なかなか成立しにくいものだ。
(下ネタというのは人類共通の基盤だから、受けるときは受ける)
とはいえ、笑いはコミュニケーションの最高の潤滑油でもある。


日本人が芸人の言葉をこれほど運用しているということは、どうにかして人を笑わせなけ
ればならない、というプレッシャーがあるのかもしれない。
それはそれで、ちょっと息苦しい。


本文と写真はまったく関係ありません

ノノ `ー´)<えりは寒いキャラじゃないー!