女子高の文化祭


1989年から1997年まで、私は西荻窪の6畳+4.5畳・風呂なしの部屋に住んでいた。
大家さんの家を改造して、一階と二階に一部屋づつ入居できるようになっており、入り口も
別々だった。
そのアパートというか下宿に面した通りは、東京女子大の通学路になっていた。


こう書くと、なんかよさそうな環境だと思われるかもしれないが、現実はただただやかまし
のである。
朝は何十人ものヒールの音がガラガラと響く。みんな急いでいるから、馬の蹄のような音が
する。
夕方は、とにかく喋りながら帰るから、これまたウワーンと話し声が響いてうるさい。


部屋にいると被害は音だけだが、外で女子大生群に出くわすと逃げたくなる。
ひとりふたりなら顔を見る余裕もあるが、大群が前からやってくると恐怖で顔を伏せて
しまう。
彼女たちは、私をゴミとしか見てないから自意識過剰なのだが。


当時はまだ携帯が普及してなかったから、ただ喋っているだけだったのだが、今だと全員が
携帯を片手にメールしながら歩いてるんだろうなぁ。


さて、私の住んでいたところは、近所に女子高もあった。吉祥女子高という、なんでも
生稲晃子が通っていた中高一貫の学校だそうだが、真面目そうな子が多かったように思う。
それなんてギャルゲー? っていう設定だなw


あれは忘れもしない、1993年9月のことだった。
私は1回目の失業中でブラブラしていた。
西友で買い物をして戻ってきたとき、ふと郵便受けを見ると何か封筒があった。


開けてみると、吉祥女子高の文化祭の招待状が入っていた。
だが私は、この学校に誰一人知り合いがいないのである。
何かの間違いではなかろうか? いや、しかし。
まだ女を信じていた頃だったので、心は千々に乱れるのだった。


ところが、招待状の日付を見て_| ̄|○となった。
その日は、私の兄の結婚式があったのである。
当然、四国に戻って出席しなければならない。
兄ちゃん、なんでまたこの日を選んで結婚を? 


泣く泣く松山に戻ったのだが、その後、吉祥女子高から招待状が届くことはなかった。
女子高の文化祭なんて、たぶん二度と行くチャンスはなかったろうに。
実に惜しいことをした。


それにしても、なぜ私の郵便受けに入っていたかは、今でも謎である。
やはり間違いだったのか、近所の郵便受けに手当たりしだい放り込んでいたのか、どっちか
だろう。


私の住んでいたところは、1998年にリフォームされ、もう賃貸住宅ではなくなってしまった。
今でも、桑田圭祐の初ソロアルバムに収録されている「遠い街角」を聴くと、西荻の下宿を
思い出してしまうのです。


本文と写真はいっさい関係ありません

リd*^ー^)<今年もハロプロは文化祭やりますよ?