俺の空

引退を表明したサッカーの中田選手の文章が新聞に転載されていたのを読んで驚いた。
彼の一人称が「俺」だったからである。


私はサッカーファンでもなく、中田選手のサイトを一度も訪れたこともない。
テレビでときどき映る、やや傲慢な印象を残す青年、というイメージだ。
W杯のブラジル戦が終わった後、ピッチに仰臥しているのを見て意外に思った
くらい、彼を「クールでマシーンのような奴」と思っていた。


ところが、「俺」である。
自意識過剰ではあるまいか? 


「俺」という一人称を使って達意の文章を書ける人は、筒井康隆だけのような気がする。


日本語に一人称と二人称がたくさんあるのは、常に相手と自分の関係を推し量って
会話しなければならないから、という話を聞いたことがある。
たしか、伊丹十三岸田秀の対談だったか。
哺育器の中の大人―精神分析講義 (LECTURE BOOKS)だったかな? 本が手元にないから確認できないけど)


自分より立場が上か下か、それとも同じかを一瞬で判断し、一人称と二人称を決める、
という作業を、日本人は楽々と(?)やっている。


しかし、あらかじめ役割を把握しておけば簡単かもしれないが、相手がどういう人か
分からないときは困るだろう。
高飛車に出るか、丁寧にするか、フレンドリーに接するか、状況を判断しなければ
「空気の読めない奴」になってしまう。


中田選手は、イタリアにいたときはイタリア語を、英国にいたときは英語を話したと
聞いている。語学の習得が得意だったこともあるだろうが、なにより日本語ではない
意思疎通の方が楽だったのではないかと想像する。


もちろん、イタリア語や英語にだって敬語表現はあるが、基本的に一人称はひとつ
だけだ。
相手が誰であろうと、一人称は英語なら「 I 」で二人称は「You」。
それは、中田選手にとって理想的な言語だったのかもしれない。


ところが、自分のサイトで語るとき、日本語だと一人称を決めなければならない。
「ぼく」では弱々しいような気がするし、「私」では冷たい感じがする。
自立した男をイメージさせ、なおかつ兄貴っぽい雰囲気も演出したい。
もしかしたら、本宮ひろ志の「俺の空」もヒントにしたのかも。


引退後はヨーロッパに留まるらしい。
私は、中田選手にとって幸福なことだと思う。
村上龍にどっぷりハマッて、日本的なシステムの機能不全を告発してほしいものだ。


【追記】
1.朝日新聞には「おれ」という表記で掲載されてましたが、本人のサイトを確認した
 ところ、ちゃんと漢字で「俺」と書いてありましたので、「おれ」→「俺」と
 訂正しました。
2.彼の文章が道徳の教科書に掲載されるかもしれないそうです。うーむ‥‥