ひとりの晩飯

ダウンタウンDX」のスペシャルをなんとなく見ていたら、タレントが選ぶ弁当の
ベスト10という企画があった。
その10位に、浅草今半の牛肉弁当が選ばれたのを見て、むかし今半でスキヤキを食った
のを思い出した。


かれこれ10年ぐらい前のことだ。
新宿で何か食べようということになって、京王新線から上がったすぐのビルにある
今半に入った。


ここは、各テーブルに給仕のおばさんが来て、その人が肉を焼いたり野菜を入れたり、
何もかも仕切ってくれるシステムになっていた。
私はもちろん初めてだったので、ちょっと鬱陶しいところに来てしまったな、と後悔
した。


ところが、どういうわけか我々の席に来たのはおばさんではなく、若い女の子だった。
和服で割烹着なんか着てたような気がする。
友だちはともかく、私のテンションは上がったね。


で、最初は友だちとしか話をしなかったのだが、何かのきっかけでその若いお姉さんとも
トークをするようになって、スキヤキを食べ終える頃には、すっかり満足してしまった。
なんて素敵な店だろう、と私は思ったのであるよ。(←バカである)


これはもう、若くて可愛い女の子に給仕してもらったからなのだが、なぜ男はそういう
ことをされると、コロッと参ってしまうのか。
「同じ釜の飯を食う」という言葉があるし、company の語源だって「パンを食った仲間」
である。食事を供にすることは、人間同士の連帯感を深めるものだ。


しかし、女が給仕し、男が食べるという形になると、また別の意味での連帯感(?)がわく
のではあるまいか。
もしかしたら、母親に母乳を飲ませてもらったときの記憶が、無意識から解放され、
食欲と性欲が未分化だった赤ん坊の時代に戻れるからではなかろうか、などと屁理屈を
こねてしまいそうになる。


だが真実は単純なもので、いつもひとりで晩飯を食っている男は寂しいのである。
だから、可愛い女の子にご飯をおかわりしてほしいという、それだけの話だったのだ。
情けないったら、ありゃしない。


まだ私がマンガの編集の下っ端をしていたころ、よく先輩たちに晩飯をつきあわされた。
当時は、大勢で食事をするより、ひとりでパパッと食って家に帰りたいなぁ、と思って
いたのだが、今なら先輩たちの気持ちが分かる。
ひとりで食事をするのは、寂しくて情けないのだ。
お前は誰からも相手にされていないのだよ、という事実を突きつけられるのだ。
(私はこの20年のうち、約17年半ぐらい、ひとりで晩飯を食っている_| ̄|○


とはいえ、仕事が忙しい人たちは、家族や恋人と一緒に食事をするのもままならぬだろう。
そりゃ、少子化にもなるよ、と思うのである。


ところで、男が給仕し、女が食べるパターンだと、やはり女もポッとするのだろうか? 
SMAP×SMAP」の“ビストロスマップ”って、そういうコーナーだよな。
女は、さすがにひとりで外食することに抵抗があるみたいだけど、最近はそうでもない
らしい。
いっそ、「誰かが話し相手になってくれるレストラン」を開業すれば儲かるかもね。


そうか、オッサンがなぜホステスを同伴させるのか、ようやく分かった!(←バカである)



本文と写真はまったく関係ありません

(夢のような食事)