ローカルとグローバル

朝日新聞に、コフィ・アナン国連事務総長が寄稿していた。
ワールドカップは、全世界の人が熱狂し、その内容を見守られているという点で、
国連にとって羨ましいものである。なぜなら、国連はそのように注目されていない
からだ、という内容だった。


私も、国連というのは、なんか頭のいい人たちが、平和とか安全についてがんばって
るんだろう、ぐらいにしか考えてなかった。
実際は、なまぐさい話ばかりの巨大な官僚組織だそうだけれど。


まあ、スポーツと国際政治を同じ土俵で扱っていいものかどうか、とは思うが、世界へ
向けたメッセージとしては、実にタイムリーなものだったと思う。


日本では、Jリーグができるまでサッカーはマイナーなスポーツだった。
日本人が出る、スポーツの世界大会といえばオリンピックで、あとはゴルフやテニス
ぐらいだったろうか。
多くの人は、とにかく野球がスポーツの王者であり、世界とはあんまり関係のないものだ
と思っていたはずだ。


とりあえず、日本国内でプロ野球が盛り上がっていれば、それでよかった時代があった。
たぶん、日本はまだ世界の中の田舎者だったのだろう。
田舎者は、自分の身の回りの世界が全てであると思って、外からの情報を受け付けない
人たちのことである。


私の地元にある銀行のキャッチフレーズは
「恋し、結婚し、母になったこの街で、おばあちゃんになりたい!」
である。


ふるさとを愛する、いい言葉だと思う。
だが、意地悪な見方をすれば、彼女は一歩も地元を離れることなく、そのまま一生を
終えるのである。
わが街が一番だ、という感情は否定しない。
しかし、一度ぐらいは外からの視点でものごとを考えてみてもいいんじゃないか、とも
思う。


プロ野球では、野茂がそれをやった。
私は、野茂が米国のメジャーリーグで成功する前に、日本のメディアがいかに彼をバッシ
ングしたかを憶えている。
わが国は、まだ田舎者だったのだ。


その後、野球はワールド・ベースボール・クラシック大会を開催するまでになった。
しかし、世界では英連邦のクリケット大会ぐらいにしか認識されてないだろう。
米国がいかに大国であろうとも、世界中の人にベースボールやバスケットボールや
アメリカンフットボールを強要できないのである。


そう考えると、サッカーというスポーツは不思議なものだなぁ、と思う。
ローカルなものであると同時に、グローバルなものでもあるのかな。
でも、ふだんJリーグの試合を見ないくせに、ワールドカップになるとテレビに
かじりつく奴が言ったって、何の説得力もないね。
すいません。