罵倒する言葉

ブラジルの日系人の家にお邪魔したとき、日系3世の若者と話をする機会があった。
彼は日本語があまり得意ではなく、聞いたことが理解できる程度だ。
私はポルトガル語が話せないので、ふたりともカタコトの英語で会話した。


そのとき、日本の卑語について聞かれた。
英語の fuck や shit にあたる日本語は何か? という質問だった。
それは「バカ」とか「クソ」なんじゃないかなぁ、と言ったのだが、もっと長いのは
ないのか、とリクエストされた。


長いのというのは、son of a bitch とか kiss my asshole とかのことかい? と言うと
嬉しそうに、そうだ、とうなずいた。
うーん‥‥普段あんまり使ったことないからなぁ。分からないなぁ、と答えたら、なんだ
日本語ではそういうのはないのか、と小バカにされた、ような気がした。


あれから12年経って、そういえば、そんな会話をしたっけ、と思い出した。
son of a bitch は「お前の母ちゃんデベソ」、kiss my asshole は「お尻ぺんぺん」と
言えばよかったのか。日本語にすると、すごくマイルドになってしまうが。


だが、落語を聴くと、江戸も上方も、相手に啖呵を切る言葉が実に豊かである。
「てやんでぇ、べらぼうめ」で始まる罵りの言葉、「耳から手ぇ突っ込んで、奥歯
ガタガタいわしたろか」という活きのよさ。
これを教えてやればよかった、と後悔しきりである。


だが「うすらとんかち」とか「ひょーろくだま」とか「こんこんちき」なんていう言葉は、
もはや誰も使わない。
芸人の“いつもここから”ではないが「バカ野郎この野郎てめー」というぐらいか? 


伊予弁でも「よもだ」(怠け者)とか、「びんだれ」(だらしがない)なんて言葉は
あったが、私ぐらいの世代で絶滅したのではなかろうか。
(ちなみに、「〜ぞなもし」なんて、明治時代にしか使われてないと思う)


相手を罵倒する言葉が貧困になったということは、別に行儀がよくなったわけではなく、
ケンカをする人との意思疎通が省かれて、ダイレクトに暴力へ移行することが多くなった
のではないかと想像する。


つまり、ケンカを吹っかけるにしても、相手の力量を言葉でチェックしたり、逃げ道を
考えたりというプロセスがなくなってしまい、ガチンコでぶつかっていくだけになった
んじゃないかしら。


語彙の貧困は、そこまで人を追い込むのかー。
「ムカつく」しか使えないんじゃ、しょうがないかもね。


逆に、人を脅かす言葉は豊富になったのかも。
サラ金の取り立てを録音したテープを聞くと、そんな気がする。
罵る言葉は対等の立場で言い合えるけど、脅かす言葉は一方的な暴力でしかないのでは
ないかと思うのです。


そういや、ポルトガル語の卑語を聞いておくんだった。惜しいことをしたな。