1992年2月、私は福島県郡山市にいた。
前年に辞めた会社から、18万円の退職金が出て、これは何か有効に使わねばと思い、
運転免許を取ることにしたのだ。
さっそく合宿免許に行ったが、東北新幹線に乗り遅れてしまい、初日から遅刻した。
福島の人は、早口で喋るので、最初は何を言っているやらサッパリ分からなかったが
そのうち慣れた。
自動車教習所の寮は、文化住宅のような安っぽいところで、6人部屋だった。
同部屋に、40歳半ばぐらいの人がいた。Kさんといった。
飲酒運転で免許取り消しになり、土建業をしているので自動車免許がないと話に
ならないらしい。つまり運転はベテランである。
Kさん以外は、みんな初めてだったので、いろいろとコツを聞いたりした。
ところが、Kさんは毎日ビールを2ℓぐらい飲むのである。
そして若いときのヤンチャを語るのである。
最初はみな、へぇすごいですね、そうですか、と相槌を打っていたのだが、連日と
なるとうんざりしてくる。
しかし、Kさんはなぜか左手の小指がないのだ。
なぜないのか、酔っ払ったKさんにたずねても、詳しく話してはくれない。
ていうか、怖くてそれ以上は話を突っ込めない。
私たちは、早くKさんが寝てくれないかなぁ‥‥と毎晩思っていた。
ある朝、テレビのニュースを見ながら教習所へ行く支度をしていると、韓国関連の
ニュースが映った。画面にハングル文字が出ていた。
すると、Kさんはそれをスラスラ読んだので、みんな驚いた。
田中邦衛みたいな喋り方をするKさんは
「俺ぁ、朝鮮だからよぉ。民族学校でちょっとだけ習ったんだぁ」
と言った。
仮免に合格し、最初の路上教習で外へ出たら、雪が降っていた。
私が雪道を運転したのは、これが最初で、たぶん最後だ。
それ以外はスムーズに進み、20日ほどの教習を終えた。
Kさんも無事に教習を終え、これでようやく息子に会える、と喜んでいた。
いまKさんはどこで何をしているだろうか?
私は94年に英国で接触事故を起こしてから、一度もクルマを運転していない。
免許証は、単なる私のIDカードに成り果てている。