定年デビュー

「デビュー」という言葉は、本来のフランス語の定義を拡大して、地味だった人が
別の共同体へ参加する、初めて体験する、という意味でも使われる。


もともとはヤンキーが、中学では真面目だったくせに、高校から格好つけ始めた奴を
揶揄するために「あいつ、高校デビューだぜ」などと使ったのが始まりだとか。
(ちなみに「高校デビュー」というマンガがあるそうですが、読んでません‥‥)


つまり、○○デビューというのは、すでに体験したことのある人が、遅れて体験する人を
差別する用語である。
これは、日本だけかどうかは分からないけれど、微分化された差異が共同体幻想を成り
立たせていると言えるのではなかろうか。


例えば、外国から日本へやってきたら、それは「日本デビュー」だし、春になって上京
した学生は「東京デビュー」と呼ばれるだろう。
若いお母さんは「公園デビュー」というハードルがある。
なんとかならんのだろうか? 


生まれる年代や地域を自分で選択できない以上、他者と全く同じ体験をすることは不可能
である。そうすると、他者とは必ず何かの差異があるわけで、優劣が細かく決められて
いるのは、非常に息苦しい。
いつからこんなことになったのやら。


ところで、もうすぐ団塊の世代が定年を迎える。
日本をめちゃくちゃにしてきた人々が、いよいよ小金と暇を持て余し、再び社会を
混乱させるわけだ。


私は、そうやってはしゃいでいる彼らを、定年デビュー、と呼んで鼻で嗤ってやる。
まあ、他人を○○デビューと言う奴は、そういう方法でしか差別化を図れない人間
なので、哀れむべきなのだけれど。
嗤う方も嗤われる方も、どちらも惨めだな‥‥