疎外感

単なる愚痴です。


私が生きてきて得た、数少ない教訓のひとつは「場違いなところへ出席してはいけない」
というものだ。
出席を断れるものなら、断るにこしたことはない。


私には同い年の従兄弟がいた。
同じ松山の高校に通い、同じクラブ活動をしていたが、特に仲がよかったわけではない。
私は、高校二年の夏に、その部活をやめ、別の部活に移った。
それから、ほとんど会うこともなかった。


その従兄弟が5年前に結婚することになり、披露宴に招待された。
場所は東京である。私は松山に戻っていた。


当然、披露宴には、高校のときの部活仲間たちがたくさん出席していた。
進学校だったので、彼らは誰でも名前を知っているような大学へ行き、誰でも名前を
知っているような会社へ就職していた。


私は、そもそもなぜここにいるのか、という目でジロジロ見られた。
従兄弟だから、ということを伝えると、一応は納得したようだった。


「それで、いま何してるの?」
私は正直に、松山で塾講師をしている、と答えた。
彼らは押し黙って、視線を外した。
まるで、披露宴に違う種類の生き物が闖入してきたかのようだった。


同じ高校にいたとしても、人生をドロップアウトした人間には、こうも冷たくなれる
ものか、と身に沁みた。
彼らとてサラリーマンなのだが、所属しているグループが違うとこの始末である。
階級社会、恐るべし。


そういや、昔から私は共同体に入ろうともせず、僻んで生きてきた。
それでも生きていけたのは、生まれつき鈍磨なためであろう。
バカだからこそ、生きながらえてこれたのだ。
‥‥ってことに気づいたとき、私は少しだけバカではなくなったのかもしれない。