山田風太郎の「あと千回の晩飯」を読んでいると、<我輩もボケである>という一節が
あって、ボケてしまって(認知症になる、と言うべきか?)自分の下の始末もできない
ようになるのは忍びないので、志願した老人を一ヶ所に集めて集団で安楽死させるのは
どうか、という内容だった。
おお、同じようなことを考えていた人がいたもんだ、と私は関心した。
といっても、私はまだ老人ではないので(そのようなものだが)考えていた内容とは
ちょっと違う。
安楽死センターを作るというのは同じなのだが、年齢を老人に限らないのである。
つまり、私のような絶望している中年や、引きこもり・ニートのような若年たちも
志願すれば安楽死できる、というものだ。
さらに、山田案では、老人たちはただ死ぬだけだが、私は健康であれば臓器移植を
同時に行えばいいと考えている。
年間に三万人も自殺者が出る世の中だ。
健康になりたい、と願う人々の希望も叶えられ、一石二鳥ではなかろうか。
ただ、若年層では、両親が反対する場合もあろう。
若いのだから、これからチャンスはいくらでもある。なにも死ぬことはないではないか、
と説得されるだろう。
しかし、こればかりは本人のやる気の問題である。
いまのところ、日本では新卒時の就職に失敗したら、負け組になってしまう。
ただ生きるために仕事をして、税金で高齢者を支える人生というのは何なのだろう?
少なくとも私は、仕事も結婚も諦めており、いつ終わるか分からないクソゲーのような
人生を続けるのだったら、ゲーム機本体の電源を落とす方が楽ではないかと思う。
もちろん、個人の判断だから強制はできないけれども。
政府は、老人の人口が減ることは喜ぶだろうが、生産者人口が減ることは喜ばない
だろう。納税者が減るから。
知ったことか。
勝ち組の楽園で思い知ればいいのだ。