DQNっぽい名前

決してそういう名前の方の人格を否定するつもりもないし、素敵な方がたくさん
いると思うのだが、翔とか樹里亜とかいう名前を見ると、偏見を抱いてしまう。
親がDQNだったんだろうな、と。


名前は基本的に親が決めるものだ。
子供がどんな人間に育ってほしいか、願いをこめてつけるのが一般的だと思う。


昔、子供に「悪魔」と名づけようとして市役所で拒否されて事件になったことが
あったが、まともな親ならそんなことはしないだろう。


そこまでいかなくても、欧米風の響きがある名前にする親は多い。
明治時代まで遡れば、森鴎外は、自分の子供をトムとかオットーと名づけている。
(表記は漢字だが)
よほど欧米に劣等感があったのだろう。


キリスト教文化圏では、名前のバリエーションがあまりない。
同姓同名が多くても不都合を感じないのだろうか? ミドルネームがあるから
そうでもないのかな。


ともかく、子供に欧米風の名前をつけて
「国際人になってほしいと思って」
なんていう親を見ると、哀れに思う。
モンゴル語でもタイ語でもいいじゃねぇか。アジアは「国際」の範疇から外れて
いるとでも? 


特に女の子は中高年になっても、エミリーだのジュリアだの名乗るのだ。
辛くないか。
それとも、ウメとかトラというおばあちゃんの名前を見るのと同じような
感覚になってしまうのだろうか‥‥。


金原克範の「子のつく名前の女の子は頭がいい」という怪著があったが、半分は
当たっているような気がする。