老人内格差

儒教では、とりあえず老人を敬うように教えている。
どうしてかというと、たぶん放っておくと老人は尊敬されないからだ。
私も老人になったら、とても若い人に尊敬なんかされないだろう。


平均寿命が、現代よりもうんと少なかった時代は、たぶん生き残った老人が
知恵や体力で優れていたのだろう。そういう人が敬われるのは当然だと思う。


しかし、現在では誰でも老人になってしまう。
恐ろしい話だ。


私は、人間が歳をとるごとに賢くなったりするわけがないと思う。
もちろん、そういう人もいるだろうが、たいていの人間はズルくなるだけだ。


若いときだって、賢愚の差があるんだから、老人にだって当然あるだろう。
頭のいい若者は、頭のいい老人になる可能性があるし、バカな若者はバカな
老人になる可能性が大きい。


それを、ひとくくりに「お年寄り」と呼んでいいのだろうか? 
老人内でも、いろんな格差があるはずだ。
勝ち組の老人と負け組の老人は、同じ人間とは思えないことになっている
だろう。
誰もが同じ幸せな老後を送れるわけではない。


こんなことを書く私は、もちろんバカな老人が大嫌いである。
しかし、私はまた、バカな老人まっしぐらの中年だ。ああ。