ヘタウマ文化論

ヘタウマ文化論 (岩波新書)

ヘタウマ文化論 (岩波新書)

15年ぐらい前だろうか。
友達にもらったチケットで新橋演舞場に行った。何の芝居を見たのか、
もう忘れてしまったが、その休憩時間に喫茶店でお茶を飲んでいたとき、
隣のテーブルに山藤章二が座った。


おお、山藤章二だ! と心の中で叫んだが、どうすることもできず、でも
何かしら訴えるものがあったのか、彼は私の方をちらりと見た。
私はお茶を飲み干して席を立った。


ただそれだけの話だが、東京で見た数少ない有名人なので、よく覚えて
いる。


さて、この「ヘタウマ文化論」だが、あまり期待して読まない方がいい。
75歳のお爺さんの話をのんびり聞く、ぐらいでちょうどいい。


いろいろ脱線するが、親しくしていた立川談志を補助線にして語るところ
が一番おもしろかった。


談志が高座に出てくると観客は緊張する。その一方で、出てくるだけで
なんとなく笑ってしまう落語家もいる。
そういう人を「フラ」があるというのだが、談志はその「フラ」を持つ
芸人に嫉妬していたのではないか、という。


もちろん落語の技術では談志は誰にも負けない自信がある。
では「フラ」とは何なのか。その「フラ」を愛する観客とは何なのか。
そこから「ヘタウマ」につながっていくあたりはうまい。



最後の方に「文春漫画賞」について書いてある。
新聞に掲載されるような一コママンガの系譜を表彰するものだが、もう
そういう作品がほとんど出てこなくなったので、平成13年になくなった。


これについては、山藤章二手塚治虫をどう評価していたのか訊いてみたく
なるが、特に何の言及もない。


山藤は、エスプリの効いた大人の漫画がなくなった、と嘆いている。
たしかに新聞や雑誌にはほとんど掲載されなくなった。
やくみつるが頑張っているぐらいだろうか。


だが、そういう諧謔はネット上にいくらでもある。
ほとんどは素人の下らないものだが、ときどき面白いのが現れる。
基本的には匿名なので、作品がまとめられて残ることもない。


そういうことを山藤章二に教えたところで、どうなるわけでもないのだが。



前にも書いたが、山藤章二の似顔絵は一種の型(かた)になっている。
誰か二代目を襲名させて、似顔絵だけでも継承させたらどうだろうか。
このスタイルが失われるのは、あまりにも惜しい。