友達がいないということ

友達がいないということ (ちくまプリマー新書)

友達がいないということ (ちくまプリマー新書)

私は友だちが少ない。
なにしろ、みんな首都圏で仕事をしているので、帰省中とかこちらが
旅行に行ったときにしか会えない。
普段はメールのやりとりもない。
だが、それでいいと思っている。


私が思うに、友だちができにくい人というのは、他人を誘えない人で
はなかろうか。
小学生なら「○○くん、あーそーぼー」と何も考えずに誘えたけれど、
思春期になってそれができなくなり、ひたすら受身になる。


なぜできなくなるかというと、自意識過剰になるからである。
自分が誘ったら迷惑かもしれない、と考えすぎるのだ。
本当は断られるのが怖いからであるが、それは無意識に押し込めてし
まう。


現に、私の友だちというのは、基本的に向こうから誘ってくれるから
今でも関係が続いているのである。
ありがたいことだ。


だから、私が松山に戻ってきたときに、地元で働いている高校のとき
の同級生が親切に声をかけてくれて、ドライブに連れて行ってもらっ
たり、飲みに行ったりしたのだが、私からいっさい誘わないでいると
連絡がなくなった。


なんだかお高くとまっているように聞こえるかもしれないが、むしろ
逆で、私は転職を繰り返してどうしようもなくなり、地元でもロクな
仕事にありつけなかったので、日の当るところにいる人が眩しいので
ある。


それでも私に声をかけてくれる友だちが数人いるというだけで、私は
不幸ではないと思う。


さて、本書で気になったのは、友達論とは関係のない部分である。

 最近では、テレビが地上デジタルになるというので、大変な思いを
した。既に、地デジ対応のテレビには切り替えていたのだが、録画は
従来どおりのVHSで、電器屋が設定してくれたものでやっていた。さら
に、住んでいるマンションで一括して J-COM というのを入れることに
なってそれもやってもらったのだが、一体録画をどうすればいいのか
分からなくなり、どうやら地デジはVHSで録画するのは難しいというこ
とで、DVDだかのレコーダーを買うことにしたのだが、どれを買ってど
う設置すればいいのか分からず、アマゾンの画面を見ながら電器屋
電話し、アマゾンの画面を見ながら、型番を言っていくらかと訊くと、
アマゾンで八万のものを十二万だと言うから、それはいかんと思い、
悩んでとうとうアマゾンで買ってしまったが設置が分からず、 J-COM
の人を呼んだら、設置はそもそも私らの仕事ではない、とまるでお説
教のようなことを言われたあげくにやってもらった。妻は若いからも
っと分かるはずなのだが、テレビを観ない人だからあまり役に立たな
かった。

(p125-126)


私は前に、東大大学院でコンピュータ言語を研究している女性が、ビデ
オのつなぎ方が分からない、と言っているインタビューを呼んで、嘘つ
け、と思ったのだが、どうも東大と家電の設定は関係ないようである。


しかし、それは最初から興味がないので学習しないままになっているだ
けであって、仮にも東大に合格したぐらいなのだから、本気でやれば
絶対にできるはずなのである。


能力があるのにできないと言うのはおかしい。
あるいは家電の取扱説明書が悪いのか? 


もう一か所、ここは大いに賛成できる部分である。

 しばしばビジネス書で、戦国武将の生き方に学ぶとか、『論語』に学ぶ
とか、古典や歴史を教えつつ、それがビジネスにおける人間関係とか
心の持ち方の教訓として役立つ、という本がある。私はいったい、そ
ういうものが本当にビジネスの役に立つのかどうか、疑問に思っている。

(p177)


これはその通りで、私も不思議に思っていたが、世の中にはビジネス書
しか読まない(読めない?)種類のオッサンがたくさんいるという事実
に気がついた。
そして、そういうオッサンは、たいてい零細企業の社長なのである。


彼らは一国一城の主だと思っており、いつかは自分の会社を大企業にし
てみせるという野望を抱いている。
だが、哀しいことに教養はない。


そういう人のために「プレジデント」などの雑誌があるのだろう。
そして、自分が一部上場企業の社長になったかのような幻想を束の間、
夢見るのだ。


で、何の根拠もないけれど、私はそういう雑誌を読む人の方が友達は
多いのではないかと思っている。
おそらく彼らは多くの結婚式に呼ばれるであろう。


私は友だちの結婚式に一度しか出席していない。
これが多いほど友だちがいる、ということになるのではないか。