ジブリ 創作のヒミツ

この夏公開の映画「借りぐらしのアリエッティ」で、宮崎駿から監督に
抜擢された米林宏昌に約1年間密着したドキュメント番組を見た。


私は、アリエッティを失敗作だと思っているが、宮崎駿はようやく自分
の後継者ができたと褒めていた。本当にそう思っていたとすれば、ジブ
リは危ない。


素人考えでは、監督というのは自分がやりたい企画があって、それを実
現するために、多くの人を率いていく立場の人である。


現に宮崎駿も、自分でやりたい作品を作っていたはずだ。


ところが、このドキュメントによると、米林監督は会社の仕事として監
督業をやらされている感じがした。


もちろん、職人監督として、自分の考えとは関係なしにきちんと仕事を
する人もいる。というか、ほとんどの監督はそうであろう。


ただ、ジブリというブランドを背負ってやるからには、それなりのクオ
リティが必要だ。後継者は、宮崎駿と同じぐらい面白い作品を作る必要
がある。かなり難しいことだが。


番組では、以前、口を出しすぎて監督を追い詰めてしまった宮崎駿が、
その反省からか一切口を出さない姿勢を見せていた。
それでも、無言のプレッシャーはそうとうなものだっただろう。


私が妄想したのは、映画「アリエッティ」での、家政婦と小人の関係で
ある。
家政婦はアリエッティの母を捕まえて瓶に閉じ込める。
このときの家政婦の顔が宮崎駿とだぶる。小人は米林監督だ。


アリエッティの母は、家庭内では優れた主婦であるが、外の世界に対し
ては無力である。
これは、米林監督が、ジブリの作画スタッフとしては有能でも、夏休み
向けの大作映画の監督としては無能であることを物語っている。


そして、家政婦は小人に対して圧倒的な力を持つ。
これは、ジブリでの宮崎駿と他の社員の力関係と重なる。


私が映画を見ていて不思議だったのは、家政婦が小人をどうしたいのか、
よくわからなかったところだ。
捕まえて瓶に閉じ込めておくが、殺すでもなし、見世物にするでもなし、
科学者やマスコミに報告するでもなし、ただ捕まえておく。
これが宮崎駿によるプレッシャーを表現していると思う。


このとき、あれほど頼りになるアリエッティの父が一切出てこないとこ
ろも面白い。
米林監督は、まさに孤立無援で仕事をしていたのだろう。


後継者を育成するなら、このような大作でデビューさせるのではなく、
テレビシリーズの一本とか、短編とかから始めるのがいいと思う。
なおかつ、自分がアニメにしたい企画を持っている人を優先すべきだ
と思う。


ジブリは社内で企画コンペをするべきだが、怖くて誰もできないのだ
ろう。