ダーク・ナイト

「ダーク・ナイト」のナイトは夜の night ではなく、騎士の Knight だった。
私は「探偵!ナイトスクープ」のナイトも、night だと思っていたときがあり、
かなり後になって、実は Knight だと分かった。どうでもいいことだが。


これはバットマンではなくジョーカーの映画であり、おそらく各方面で彼の演
技は絶賛されているのだろう。
私も、見ていて鬼気迫る思いだった。


ジョーカーの悪事は、映画の中でも語られていたけれど、金のためではない。
バットマンというヒーローを困らせるためである。
正義の光が強ければ強いほど、悪の影も濃くなっていくように、ジョーカーは
どんどん存在感を増していく。


おそらく、ジョーカーはバットマンに殺されたかったのだろう。
実際、そのような場面があるが、バットマンはジョーカーをひき殺すことがで
きない。それが正義の弱さである、とジョーカーはうそぶく。


このような視点になったのは、イラク戦争を経て、米国の正義がゆらいできた
からだろうか。
そうではなく、敢えて悪役を引き受けようとするバットマンの姿こそ、米国の
自画像なのだろう。


バットマンを米国、ジョーカーをテロリストと仮定するならば、この映画にお
ける米国の自意識がどんなものか分かる。
最後に自分が悪役を引き受ける孤独なヒーロー、というのがそれだ。


そのようなヒーローの苦悩は、永井豪が「デビルマン」ですでにやっているし、
今さら珍しいものでもない。
しかも、正義を上回る純粋な悪意で映画の中の空間は満たされていた。


本国では大ヒットしているところをみると、米国人は内にこもろうとしている
のかもしれない。


ところで、本作のヒロインは、私には美人に見えなかったのだが、他の人には
どう見えただろうか? 
普通ヒロインは死なないはずなのに、映画の中盤で爆死している。
そういう役だから、わざと美人を選ばなかったのかもしれない。


物語の中で唯一違和感があったのは、2艘のフェリーに爆弾が仕掛けてあり、お
互いの起爆装置を持っている、というエピソードだ。
米国の市民にはまだ希望がある、とでも言いたかったのか。


ここで2艘ともフェリーを爆発させて、怒り狂ったバットマンがジョーカーを
殺すシナリオだってあったんじゃないかと思う。
そういう救いようのない映画を作れるようになったとき、米国は成熟するので
はなかろうか。