押井守の最新作を見るたびに、やっぱり彼の最高傑作は「ビューティフル・ドリー
マー」だなぁ、と思う。
この映画は原作も読まず、ほとんど何の予備知識もなく見たせいか、かなり退屈な
ものだった。
ほとんどの人が指摘していると思うが、これはゲームの中の世界の話である。
主人公たちは年をとらず、死んでも別の肉体を持ってよみがえる。
ちょうどシューティングゲームで撃墜されても、次の機体があらわれるようなもの
だ。
まさに、東紀浩が喜びそうな設定だろう。
設定といえば、私が説明してほしかったのは、この映画の中の「子供」の定義である。
飛行機を操縦し、酒を飲み、セックスをして子供まで産むキルドレたちの、いった
いどこが子供なのだろう?
原作にはちゃんと書いてあるのだろうか。
年齢的には中学生か高校生ぐらいなのか、それとも法律の年齢である二十歳前後な
のか、絵を見る限りでは分からない。
そもそも、戦争を請負う企業が、なぜ子供を使っているのかも分からなかったし、
“ティーチャー”と呼ばれる最強のパイロットのいる意味も分からなかった。
だって、大人の男が一番強いのなら、彼らで部隊を編成すればいいではないか。
そうしないのは、できるだけ戦争を長引かせたいからにすぎない。
つまり、ゲームバランスのためだ。
ゲームの中のキャラクターたちが閉塞感を感じるのは当たり前で、それをいまの
若者たちに当てはめたい、というのが監督の意図だとすると、もう少しひねった
方がよかったんじゃないか、とも思える。
結局、この作品で目立つのは、CGによる空中戦と犬だけだった。
登場人物は自分たちが誰と何のために戦っているのかを理解しようともせず、た
だ仕事として戦闘機に乗っている。
なるほど、これがセカイ系といわれるものか、と思うが、シューティングゲーム
もやらないし、兵器オタクでもない私は、何回かアクビが出た2時間だった。
よけいなことだが、エンドロールが流れても席を立ってはいけない。
それが終わってから、本当のエンディングが訪れるから。