私の身体は頭がいい

私の身体は頭がいい (文春文庫)

私の身体は頭がいい (文春文庫)

ちょっと前に読了していたのだが、基本的に武術のことなので、読んでいても分からない部分が
多く、これは感想も書きようがないな、と思っていた。


しかし、ひとつだけ非常に共感できる部分があった。
別に武道のことではない。内田樹が結婚していたときの話である。
「具合が悪くて気分がいいぜ」というエッセーから引用する。

 かつて結婚していたころの私の妻たる人は「病気になるのは生き方が間違っているから」という
実にきっぱりとした正論をお持ちの方であった。
 それゆえ、私が病気になると、それがどのような人格的欠陥に由来するものであるかを容赦なく、
徹底的に指弾してくれた。


 もちろん「看病」などということはなされるはずもない。
 なにしろ、病気はおのれの生き方の間違いに気づき、「二度と病気にはならないぞ」という反省
をするための機会なのであるからして、徹底的に不快な経験として記憶されねばならぬのである。


 おお、なんという教化的なご配慮であろうか。
 妻の献身的な教化の功あってか、私は「病気になると、病気になって具合が悪い上に、妻に死ぬ
ほど説教されて、いっそう具合が悪化するという二重苦が待っているから、死んでも健康だけは維
持せねば」と懸命の努力で体調を保ったのであった。


これとほぼ同じ経験を私もしてきた。
私は結婚したことがないが、母親がこういう人だったのである。
世の中には、こういう血も涙もない女が何割かおり、その家族になった人間は地獄を見るものだ。


なので、私も少々の熱や腹痛だと母親に告げず(だって怒られるから)、自力で治るまでじっと
辛抱していた。重篤な病気にならなくて済んだのはラッキーだった。


こういう人に育てられると、素直に人に甘えることができなくなる。
その一方で、自分を許してくれる人だと思うと、極端に甘えてしまうこともある。
いまや世の中には、私が甘えていい人間など誰一人いないことが分かったので、恥ずかしい間違い
を繰り返さなくてもいい。


断っておくが、私の母や内田樹の元妻のような人は、別に悪気はないのである。
単に頭が悪いだけだ。


どこかに他者への思いやりとか優しさを忘れてしまった人々は、これからもたくさん出てくるだろ
うし、現に今も増えているような気がする。
知っていればできるだけ関わらないようにするが、親や妻がそういう人だったときは、できるだけ
ダメージがないように離れることをお薦めする。


本文と写真はまったく関係ありません

( ^▽^)<私の身体はボン・キュッ・ボン!