レミーのおいしいレストラン

チューボーですよ!」風に言うなら、星二つ、というところだろうか。
原題は“Ratatouille”(ラタトゥーユ)というフランスの野菜煮込みの名前である。
ネタバレしているのでたたみます。




ピクサーのアニメは、去年「カーズ」を見てがっかりしていただけに、今回はちょっと期待した。
しかし、どうも話がギクシャクしている感じがして、うまくこなれていないような気がする。
面白くないわけではないけれど、絶賛するほどではない、というところか。


味覚の天才であるネズミがパリの一流レストランに流れ着き、おいしい料理を作って絶賛される、
というストーリーだが、私はこれをユダヤ人の物語として見た。


映画はフランスの田舎の一軒家から始まる。
その家の屋根裏に住んでいるネズミの一族は、台所から盗むことをせず、残飯をあさって暮らして
いる(この、盗みはしない、という掟は、その後しばしば登場する)。


主人公のネズミ(レミー)は、他のネズミとは違い味覚の天才である。
彼は父親から、残飯のにおいを嗅いで食べられるかどうかを判断する役割を与えられるが、本当は
料理人になりたい。


ある日、キノコとチーズの料理を作るために台所に忍び込んだレミーは、一軒家の主の老婆に見つ
かってしまう。盗まない、という掟を破ったからである。
老婆はショットガンでネズミを撃ちまくり(このあたりが米国っぽくて不自然)、とうとう天井が
抜ける。屋根裏に住んでいた一族は、安住の地を追われることになる。ディアスポラである。


このときネズミたちは、いつでも逃げ出せるように船を準備している。
これもユダヤ人の知恵と重なる。
また、レミーは、彼にとっての聖書である「誰でも名シェフ」を持ち出すことを忘れない。
その本の著者でレストランの名シェフ(グストー)は、レミーには神様にも等しい存在だからだ。


下水溝に逃げ込んだレミーは、一族と離ればなれになる。
唯一持ってきた「誰でも名シェフ」を見ていると、挿絵に描いてあるグストーが語りかけてくる。
地上に出てごらん、という神の啓示である。


ちなみにグストーはすでに亡くなっており、レミーがピンチになると登場するが、本人はレミー
空想だと言っている。
ユダヤ教では神の姿を直接描くわけにはいかないから、こういう言い訳が必要なのである。


その後、レミーは人間の青年(リングイニ)と出会い、2人でおいしい料理を作っていく。
いわばユダヤ人の頭脳が他の民族の人間を動かしているという暗喩だ、というのは穿ち過ぎか。
ともかく、レミーとリングイニの作る料理はおいしいので、グストーの店の評価は上がる。


映画の中盤で、レミーは離ればなれになっていた一族たちと再会する。
レミーの父親は一族に戻ってこいと言うが、レミーは断る。人間にもいい人はいるのだ、と反論す
ると、父親はネズミ捕りの店の前にレミーを連れて行き、ネズミたちの無残な死体を見せる。
これは、ホロコーストがあったことを伝えているのである。


さて、評判になったレストランにイーゴという美食評論家がやってくる。
彼こそがグストーの店の格付けを下げ、グストーの急死の一因ともなった不気味な男である。
(贅沢にも、イーゴの声はピーター・オトゥールがあてている)


すでに厨房はレミーなしでは成り立たなくなっているが、レミーとケンカしたリングイニは料理を
作ることができない。お約束だが、そのときレミーは悪者によって捕らえられていた。


窮したリングイニは、助け出されたレミーを見せて自分の秘密を明かす。
呆れた厨房の料理人は、全員出て行ってしまう。
困り果てたリングイニを見たレミーとその一族は、協力して料理を作り始める。
たくさんのネズミたちがキッチンで働くのである。


果たして料理の世界にユダヤ人はどのくらいいるのか分からないが、少なくともユダヤ料理(とい
うものがあるとすれば)が、中華料理ほどポピュラーでないことは確かだ。
一般に普及しているのはベーグルぐらいだろうか? 


そういう閉鎖的な部分があるユダヤ人に対して、もっと他の民族とも協力していこうよ、というメ
ッセージがこの場面に込められているのかもしれない。


レミーがイーゴに出した料理は、フランス南部の平凡な料理ラタトゥーユだった。
これを食べたイーゴの反応は、まんま「美味しんぼ」の京極さんである。
日本の料理マンガの表現力は、たぶん世界の最先端をいっていると思う。


シェフに挨拶したい、というイーゴにリングイニは真実を話す。この料理はネズミたちが作ったも
のだ、と。イーゴは、誰にでもおいしい料理が作れるわけではないが、おいしい料理を作れる者は
どこにでもいる、と批評し、グストーの店を絶賛したのだった。


このあたりは、能力があれば誰でもトップになることができる、という米国的な価値観が現れてい
る。フランスが舞台なのに、キャラクターの性格はみんな米国人のようだ。
よくあることだけど。


しかし、レストランの厨房にネズミが大量にいるということがバレて、グストーの店は閉店。
イーゴはレミーのために投資し、リングイニとビストロを開いて繁盛する、というところで終わっ
ている。
イスラエルの建国みたいなものだろうか(言いすぎか)。


これ以外にも、リングイニの出自や元副料理長の暗躍など、いろいろ詰め込まれているのだが、お
話の骨格は上記のようなものである。
リングイニの恋人役は果たして必要だったのかも疑問だ。


ディズニーのアニメでネズミを主人公にしたものといえば、ミッキーという大看板があるけれど、
この作品のネズミは mouse ではなく rat である。
大きいネズミがラットらしいが、あまりイメージはよくない。
敢えてそういうキャラクターを主役にするところが、ピクサーの反骨精神なのかもしれない。


ところで、パリにはネコがいないのだろうか? 
ネズミの天敵が全く登場しないのが不思議だったが、大人の事情があったりして。


本文と写真はまったく関係ありません

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