
- 作者: 手塚治虫
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1981/03/12
- メディア: コミック
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一話一話はそこそこ面白かったのだが、全体の構成は行き当たりばったりというか、作者本人も
どういう風に風呂敷をたたむか決めていなかったのではなかろうか。
とはいえ、自分の身体が魔物に奪われて、魔物を倒すごとにパーツが手に入るという設定は秀逸
で、この影響を受けたマンガやゲームはたくさんあるに違いない。
手塚自身も、「どろろ」が中断したことが悔しかったのか、その後「どろろ」の兄弟作品ともい
える「ブラックジャック」で、見事リベンジを果たしている。
この作品は、水木しげるの妖怪マンガがなければ描かれることはなかっただろう。
しかし、手塚がデザインした妖怪は、あまり面白い造形ではなかった。そこが致命的だったと思
う。
むしろ、マンガの中に過剰な人間ドラマを入れてしまったために、妖怪がいてもいなくても、そ
れほど関係ないような話になっていることもあった。
特に「ばんもんの巻」では、ベルリンの壁や板門店を思わせる国境が話の軸になっており、妖怪
は付け足しのようなものだった。
また、農民が武士の圧政に耐えているところなどは、ちょっと白土三平のテイストも感じられ、
この時期の手塚が非常に迷っていたことを思わせる。
劇画がヒットして、自分の築き上げてきたものが失われてしまうような不安があったのかもしれ
ない。
しかし、タダでは転ばないのが手塚である。
ライバルたちの手法を取り入れてみて、自分で使えそうなところは応用して別の作品で試してい
る。
例えば、水木しげるが描いた圧倒的な土着性は、手塚のフィルターを通して「奇子」のような社
会派作品として昇華されているし、白土三平の影響は「シュマリ」に現れていると思う。
そのヒントをつかみかけている時期の作品が「どろろ」ではなかろうか。
なぜこれが映画化されたのかは謎だが、地上波で放送されたら見てみようかな。
本文と写真はまったく関係ありません
( ・e・)<見よ! 千手観音の術なのだ!