オリジナル・サイコ

オリジナル・サイコ―異常殺人者エド・ゲインの素顔 (ハヤカワ文庫NF)

オリジナル・サイコ―異常殺人者エド・ゲインの素顔 (ハヤカワ文庫NF)

エド・ゲインについて書かれたドキュメントである。
彼は1957年に中年女性を銃で殺し、自宅で解体しているのを発見され逮捕された。
自宅からは、その他にもいくつもの遺体から切り取られたものが発見され、全米に報道された。


この事件をヒントに、小説「サイコ」が書かれた。
それを読んだヒッチコックが1960年に映画化し、米国映画の古典となった。
その後も「悪魔のいけにえ」や「羊たちの沈黙」などに、エド・ゲインをモチーフにしたような
人物が描かれている。


私と同様に、エド・ゲインの名前を映画から知った人も多いだろう。
あるいは、ウェブ上でなぜかたくさんある猟奇殺人事件のサイトで見た人もいるかもしれない。
そうした恐ろしいイメージは、この本を読むと薄らいでいく。


殺人事件が発覚し裁判で明らかになったのは、中年女性を2人殺害したことと、墓荒らしだけで
ある。
映画「サイコ」の超有名なシャワーシーンのように、ナイフをふりかざして人を殺したわけでは
ないし、他のホラー映画のようにチェンソーをふりまわしていたわけでもない。
本人は160cmに満たない小男だったし、逮捕されたときは51歳だった。


私の興味は、彼の成育環境にある。
エド・ゲインの母親オーガスタは、かなり問題のある人だったらしい。
本書では

 オーガスタは、一言で言えば、父親そっくりの娘だった‐‐‐仮借なく厳格で、独善的で、支
配的で、融通がきかず、一度たりとも自分の正しさを疑うことなく、それを他人に、自分のまわ
りにいる人々に、いかなる手段をとろうと押しつけることの正しさも疑いはしなかった。

とある。


こういう女性に育てられると、たいてい自己肯定感が得られず、たえず不安定な自我に苦しめら
れることになる。
エド・ゲインは、母親への憎しみを、母親によく似た中年女性にぶつけていたのだろう。
その衝動が内側へ向けられれば、自殺する。
なぜ、エド・ゲインは自殺しなかったのだろうか。


60年前の米国のコミュニティーがどういう状況だったのか、私にはよく分からないけれど、エド
ゲインは1945年に母親が死んでからずっと孤独だった。

 オーガスタの死後、ゲイン農園もやはりはっきり衰えを見せていた。一人になるとゲインは働く
のをやめてしまった。正面の庭には雑草が生い茂り、放牧地は林に帰っていった。最後に残った家
畜も、母の葬式代を工面するために売り払った。使われない農機具は(中略)納屋で錆びていった。


 エディはごくほんのわずかなものしか必要としなかったから、数十ヘクタールの土地を近所の農
夫に賃貸しし、便利屋として働くだけで生活できた。しばらくは郡区自治会に雇われ、夏には路傍
の藪を刈り、冬には雪かきをしていた。土地が休閑中だったので、州の土壌保全プログラムから雀
の涙の政府補助金が出た。


中西部の田舎町だったので、農業か自営の商店で生計を立てるしかなかったのだろうが、エド・ゲ
インはどちらも選ばず、ただ半端な仕事をやるだけだった。
ただ、時代がのんびりしていたのか、小さな村にそういう人がいても、それほど気に留めなかった
らしい。


私は、いくつかの部分でエド・ゲインに似ており、少しだけ彼の気持ちが分からないでもない。
生まれてこなければよかった、と思った夜もあっただろう。


米国の猟奇殺人は、すべてエド・ゲインのコピーにすぎない、という人もいる。
彼以前にも死体を切り裂いたりした人はいたと思うが、メディアの発達が事件の起こった時期と重
なって、米国の裏文化に消すことのできない刻印を与えたのだろう。


いまやコロンバイン事件が新しい大量殺人のマイルストーンになり、模倣犯が現れるようになった。
殺人事件にも流行があるとすれば、どこかの時点でエド・ゲインは古くなってしまったのかもしれ
ない。


本文と写真はまったく関係ありません

日付は去年のものです