常に素晴らしい映像を見せてくれるNHKの「プラネット・アース」も今日で最終回である。
繰り返し再放送してほしい番組のひとつだ。
今回のテーマは外洋と深海の生物だった。
私たちがほとんど見ることのできない深海の生物を目にするたびに、その形の多様性を不思議に
思う。
陸上の生物だって面白い形をしたものがたくさんあると思うが、水中の生き物は自分の体重から
フリーになるせいか、よりデタラメさが増しているような気がする。
そういうデタラメさは、カンブリア爆発と呼ばれる現象でも顕著だが、人間の発想ではない形が
いくらでも作られていることに、神秘的な何かを感じる。といっても、神様が創ったのだ、とか
主張したいわけではないけど。
例えば、私たちは足の多い生物を気持ち悪いと思うことが多い。
本当はカニとかエビだって気持ち悪がってもいいはずだけど、おいしいからそういう気持ちにな
らないだけだ。
ゲジゲジとかフナムシが美味だったら、そのうち慣れてしまうのかもしれない。
また、ヘビのように足のない生き物も不気味に思う人が多いだろう。
だったらウナギだって同じように怖がってもいいはずだが、やはり旨いからそうは思わない、と
いうのは強引すぎるか。
本来、あらゆる生物は進化の過程で最も機能的であるよう洗練されてきたはずである。
ムダな部分があると生存競争に負けてしまうから、生き残るために有利なものを発達させてきた、
と素人考えだが思う。
サメとかマグロなどの、一生ずっと泳ぎ続けなければならない生き物は、流線型のフォルムをし
ている。そして私たちはその形を、なぜか格好いいと感じる。
機能美は人間が勝手に価値をつけたものだが、普遍的な感覚なのかもしれない。
一方で、熱帯魚などは機能美とは別の美しさがある。
いや、タコやイカだって美しいと思えば美しいはずだ。
どうも話がとっ散らかってきたが、人間が美しいと思ったり格好いいと思ったりする形と、生理
的嫌悪感をもよおす形というのは、どこかに厳密に線引きされる基準があるんだろうか、という
ことが言いたかった。
たぶん誰かが何百年も前にきっちり解決していると思うけど。
マンガでいうと、楳図かずおの「漂流教室」に出てきた砂漠の怪物とか、宮崎駿の「風の谷のナ
ウシカ」に出てきた昆虫をモチーフにした生き物なんかは、嫌いな人にとっては生理的にダメな
んじゃないかなぁ、と思う。
王蟲って、でっかいダンゴムシだもんなぁ。