父親たちの星条旗

映画の日だったので1000円で見られたが、観客は私を含め8人。
平日の午後6時の回だったからか?
ネタバレなので隠します。




昔、米国のテレビの放送が終了するとき、海兵隊星条旗を立てている有名な写真が使われて
いたのを、何かの映画で見たことがある。
米国人にとって、それほどメモリアルな写真の真実について語った、クリント・イーストウッド
渾身の一作である。


まず、私が(そして多くの米国人も)勝手に思っていたのは、あの旗が立てられたときに戦いは
終結した、という物語である。
実際は、その後30日以上も戦闘は続き、写真に写った6人のうち3人が死んだ。


残った3人、衛生兵のジョン・ブラッドリー、伝令のレイニー・ギャグノン、先住民系のアイラ・
ヘイズは急遽、本国に戻され、戦時国債を募集する宣伝ツアーに利用された。
突如、米国中のヒーローとなった3人は、とまどい傷つく。
彼らのその後の人生が、戦闘時の記憶をフラッシュバックさせながら回想されていく、という
内容だ。


プロデューサーにスティーヴン・スピルバーグが加わっており、海兵隊の上陸作戦は「プライベート
ライアン」さながらだった。語弊はあるが、戦闘場面はノリノリで映像化されている。


余談だが、私は太平洋戦争の記録映像をほとんどモノクロでしか見たことがなかった。
ところが、いつだったかNHKスペシャルで、米軍がカラーフィルムで記録していた太平洋戦争の
映像を見たとき、遠い昔のことだと思っていた戦争を、妙に生々しく感じた。


一方、スピルバーグ印の戦闘映像は、その生々しさをうまくセーブしている。
モノクロを0、カラーを1としたとき、スピルバーグの映像のタッチは0.7ぐらいに留められて
おり、リアルな悪夢のような印象を与えている。職人技である。


それにしても、米軍は圧倒的な物量で戦いを挑んだのだなぁ、と身を震わせる画があった。
硫黄島に向かう、おびただしい数の軍艦が映る場面である。
あんなちっぽけな島を攻めるために、どれほど物質的・人的リソースをつぎ込んでいたのだ
ろうか。あまりに巨額すぎて見当もつかない。


だからだろうか、私はこの映画で初めて知ったのだが、米国の国家予算もけっこう苦しかった
らしい。ゆえに戦時国債が宣伝されたわけだが、もっと余裕をもって戦っていたかと思って
いた。


それで、激戦の末に勝ち取った、硫黄島の名前を軍艦につけたのかもしれない。
こういうネーミングをしている軍隊って、米軍だけなのだろうか? 


そういうことを知ると、私たちの祖父は、いい意味でも悪い意味でも、とんでもないことを
していたのだなぁ、と思う。
平成の日本人の、なんとスケールの小さいことよ。
実は、何かが振り切れたときの日本人を最も恐れているのは、米国人かもしれない。


その日本人=敵兵は、ゲームキャラクターのように無個性な“an enemy”として描かれていた。
それだけなら、ただのハリウッドの映画のひとつにすぎないのだが、クリント・イーストウッド
逆に、日本側から硫黄島の戦闘を描いた「硫黄島からの手紙」を制作した。
さすがである。


父親たちの星条旗」が終わった後に、「硫黄島からの手紙」の予告編が流れるのだが、少し
涙ぐんでしまった。予告編で泣きそうになったのは初めてだ。
この二つの作品を見て、きちんと評価すべき映画なのだろう。
しかし、「硫黄島からの手紙」は米国では公開されないらしい。残念だ。


本文と写真はまったく関係ありません