腐女子化する世界

もう10年以上会ってないが、高校の同じ部活に腐女子がいた。
いまは学校の教師をしており、誰はばかることなく腐女子ライフを満喫している(と思う)。
彼女は香港が大好きで、第二のふるさとと呼ぶくらい現地を訪れている。
私も香港に行ったとき、いろんな場所を案内され、とても楽しかった。


では、そのような女性がどんどん増えているかというと、そうも思えない。
もちろん、流行を追いかける派手な女性の方が目立つということもあるが、男のオタクと
同様にマジョリティーにはなりえないのではないか。
別に世界は腐女子化なんかしてないと思う。


この本は、なぜか AERA に準拠して主張されている言説が多い。
私は、あのくっだらないダジャレが大嫌いなので、AERA なんか読んでる奴はバカじゃねーの? 
という偏見を持っているせいか、眉にツバをつけながら読んでしまった。


で、後の方になると、腐女子の話というよりは、フェミをからめた格差の話になっており、
どうも、とっ散らかった印象しか残らない。
ただ、大企業に勤めている人間とそうでない人間に、とてつもない格差が生じている、という
主張はもっともだと思う。


そんで話は、大企業って儲け過ぎじゃね? となるはずなのだが、そっから先の展開はない。
コストカットして切り詰めないと国際競争の中で負けてしまうっていう大企業の言い訳は
嘘なんじゃねーの? 単に経営者が無能なだけなんじゃねーの? とはならない。


このままだと、企業栄えて国滅びるってことになりかねないのだけど。


はい、自分でも収拾がつかないような大風呂敷を広げてしまいましたね。
すいません。
話を腐女子にもどします。


橋本治は、韓流ドラマのヒットを見て、メロドラマというのは女性にとってのポルノである、と
鋭く指摘していた。
この本でも、男のオタクがいわゆるポルノ的なものに性的興奮を覚えるのに対し、腐女子
もっと関係性のある物語を求めるのだ、と書いてある。
これは私も大いに同意する。


ただし、男だってセックスシーンがあればいいのかというと、そうでもない。
例えば、モーニング娘。たちのメンバーの関係性を想像しながら、ああでもないこうでもないと
いろんなことを想像して楽しむことだってあるのだ。
ハロプロのアイドルたちのキャラと関係性を借りて作った小説は、ネット上に山ほどある。
中にはポルノ小説のようなものもあるが、ほとんどはエロくない青春小説みたいな内容で、多くの
読者から賞賛が寄せられている名作もある。


なぜか、本書では女のオタク=腐女子が特別な存在のように言われているが、あまり、男/女の
二分法でオタクを語らない方が、より面白くなったんじゃないかなーと思う。


最後に。
さまざまな価値観を提示する女性誌があって、それが差別化をドライブさせている、という。

 女性誌は各自固有のモノサシを読者に提示する。
 そして、読者は自分のライフスタイルにあったモノサシを掲載する雑誌を講読するのだ。

と書いている。


ひとつ次元を繰り上げて考えてみたい。
なぜ女性はそれほどまでに雑誌に左右されるのだろうか? 
答はこの本には書かれていない。


若い女性が、あれほどまでにエビちゃんを崇拝するのか、正直わからない。
男にとって、エビちゃんにあたる人っていますか? 
ていうか、そういう雑誌ってありますかね? 


ちなみに、同じ著者のこの本は面白かった。

オタク女子研究 腐女子思想大系

オタク女子研究 腐女子思想大系

女性誌ヒエラルキーでは、フランス人と結婚した女が頂点である、という指摘には笑った。
いくら金持ちでも、米国人じゃダメなのね。


本文と写真はまったく関係ありません

(O^〜^)<じゃあ、あたしが「攻め」でミキティ「受け」ね。
从*釻v釻)<‥‥