十九世紀パリ怪人伝

日本人のくせに、なんでこんなに19世紀のパリについて詳しいのだろうか、と思うのだが、
学者というのはそういうものなのだろう。


この本は、19世紀のフランスでメディア業界(主に新聞)に君臨した男たちの伝記である。
登場する5人の人物のほとんどは、学歴もない下層階級の出身にもかかわらず成り上がった
者たちだ。
その飽くなき上昇志向には圧倒されるものがある。


例えばヴェロン博士という人物は、デブでハゲで、おまけに梅毒のために首に傷があるという、
非常に醜い男だったが、咳き止めドロップの販売権利を安く手に入れ財を成し、それを元手に
文芸雑誌を創刊して大評判になった。
日本でいうと菊池寛みたいな人だろうか。


その後、パリのオペラ座の経営を立て直し、女衒のようなこともした。曰く

 この当時、オペラ座バレリーナの卵やコーラス・ガールたちは、いわば今日のタレント志願
の少女のようなもので、建前としては大スターになることを夢みてはいたが、実際には、金持ち
パトロンを見つけて、その愛人のおさまることを現実的な目標としていた。それは少女たちの
願いというよりも、母親の願いだった。貧しい家庭では、美形の女の子が産まれると、まずオペ
ラ座の養成学校に入れることを考えたものだった。母親は、娘たちが貧乏な恋人をつくって結婚
したりしないように監視の目を光らせ、金持ちのパトロンが言い寄ってきたら、媚びを売ってう
まく誘惑するように言い含めていた。


 一方、ボックス席に陣取る貴族やブルジョワの金満家たちにとって、オペラ座はフレッシュで
可愛い愛人を調達する場所でしかなかった。とりわけ、まだ値段が競り上がっていない端役の少
女が狙い目で、みんな、骨董を探すような目付きでオペラ・グラスを覗いては、主役よりも端役
の少女に熱い視線を注いでいた。(中略)


 ヴェロン博士は、現実的な観点から、この両者の願望を叶えてやることにした。(中略)
特権を得た金満家連中は、バレリーナや歌手の練習風景を眺めながら、自分好みの少女を物色し、
お気に入りがいれば、さっそく母親を交えて扶養条件の相談に入って、その場で合意に達するこ
ともできた。(中略)


 ヴェロン博士自身も、こうした特権にあずかることにいささかのためらいも見せなかった。彼
のお目にとまったバレリーナや歌手が準主役クラスの役をもらうことは公然の秘密どころか秘密
ですらもなかった。オペラ座は、金と権力をすでに手に入れていたヴェロン博士に、気に入った
女を手づかみで選ぶという究極の快楽を与えたのである。


とある。
まさに、いまのタレントプロダクションの社長や周辺の金持ちオヤジがやっているようなことを、
19世紀のパリでもやっていたのである。うらやましい。


フィガロという新聞を創刊したヴィルメサンという男は、もともとリボン屋で、新聞の記事
など一行も書けなかった。
しかし、彼は新聞広告における画期的な方法を発見した。
大新聞の広告欄を安く借りて、それを分割して広告を出したい人に又貸しするのである。


これは、現在の広告代理店が当たり前のようにやっていることだが、当時のフランスでは誰も思い
つかないことだった。
これにより、ヴィルメサンは巨万の富を築く。


鹿島茂は、この本の冒頭で

 成り上がりの意欲に燃えた青年たちを刺激したのは、ジャーナリズムの世界だった。なぜなら、
インターネットの世界と同じく、十九世紀のジャーナリズムでも、アイディアさえよければ、ごく
わずかな資本でも事業が始められたからである。というよりも、アイディアに資本がついてきた。
この点も、インターネット・ビジネスと同じである。


 たとえば、新聞に広告を取り入れることで予約購読料を半分に下げ、発行部数を数倍に拡大した
ジラルダンの『プレス』のコンセプトは、孫正義の『ヤフー』とまったく同じである。


 また、大衆娯楽新聞に投書欄を設け、そこを一般の人の議論の場に開放した『フィガロ』のヴィ
ルメサンは、ネット・カルチャーの先駆者ということができる。


 さらに、情報のスピードこそが金を生む卵だと見抜いて通信社を作ったアヴァスは、今日のイン
ターネット・ビジネスの根底をなす原理の創造者と見なしてよい。


と書いている。
確かに、メディアの進化というものの原点は、実は昔から変わらないのかもしれない。
後世の歴史家たちは、2chひろゆきmixi笠原健治をどのように評価するだろうか。


【蛇足】
前から思っていたのだが、鹿島茂の顔って

藤子不二雄Aの描くいじめっ子に似ているなぁ、と思うがどうだろうか? 

パーマン かば夫)