博士と狂人

博士と狂人―世界最高の辞書OEDの誕生秘話 (ハヤカワ文庫NF)

博士と狂人―世界最高の辞書OEDの誕生秘話 (ハヤカワ文庫NF)

英国人らしい、もってまわった書き方だったが、とても面白いノンフィクションだった。


タイトルの博士とは、辞書の金字塔であるオックスフォード英語大辞典(以下 OED )の
編纂者ジェームズ・オーガスタス・ヘンリー・マレーであり、狂人とは、その辞書の編纂に
多大な協力をしたウィリアム・チェスター・マイナーである。


マレー博士は14歳で学校を卒業すると、教員補佐や銀行員をしながら独学で言語の研究を
続けた苦労人で、異常に語学ができるスコットランド人だった。
一方、マイナーは宣教師の両親が赴任していたセイロンで生まれ、イェール大学を卒業し
医師になった米国人で、やはり語学に興味があった。


ところが、マイナーは南北戦争に従軍したときから、徐々に今でいう統合失調症に侵され、
夜中にアイルランド人に殺されそうになる、といった妄想を述べるようになり、軍を除隊
される。


そして、欧州へ旅立ち、気晴らしに絵を描いたりして療養することになる。
ところが、ロンドンに滞在中、またも何者かに襲われるという妄想により、無実の労働者を
射殺してしまうのである。


精神病院に収監されてしまったマイナーは、そこで OED の編纂協力者の募集を知る。
英語のあらゆる単語の語源、変遷、正しい意味、過去の用例をカードに記入して送ることを
求められたのだ。


発狂してはいるものの、マイナーはインテリであり、医師であり、実家は裕福だったため、
精神病院の中でも本を自由に注文でき、蔵書は稀覯本を含め膨大にあった。
その中から、興味深い単語の使い方や、最初に文書に登場した例などを、オックスフォードの
求めに応じて提出していったのだ。


マレー博士は、問わばすぐに送られてくるカードの送り主に興味を持ったものの、激務だった
ために面会に行けなかった。
住所は精神病院だったが、ドクター・マイナーとあったので、そこの医師だろうと思っていた。
しかし、いざ会いに行ってみて、はじめて患者だったということが分かった、という話は、
辞書の編纂史の神話になっているそうだ。


だが、それは脚色されており、実際の面会はもっと淡々としていたらしい。


結局、ふたりとも辞書の完成を待たずに死んでしまう。
OED は作業にとりかかってから完成するまでに70年もかかっている。
現在はウェブ上で編纂が行われているそうだ。


こうした大事業は、ヴィクトリア朝の英国だから遂行できたのかもしれない。
いまの日本でそういう辞書を作ろうと思っても、人材も資金も集まらないと思う。


例えば、【テンション】という語に、気分の高揚をあらわす意味で「テンションが上がる」と
いう言い方があるが、これは松本人志が言い始めたものである。
だが、いつどの時点で最初に「テンションが上がる」と言ったのか、文書で最初に記録された
のは何か、といった質問には誰も答えられないだろう。
(もっとも、日本語に定着せず消えてしまう可能性だってあるのだが‥‥)


ただ、wikipedia が作られており、その延長線上に日本の OED 的なものができるのかもしれない。
50年ぐらいかけて誰かやってくれないものだろうか。


本文と写真はまったく関係ありません

あややとチャーミー