私家版・ユダヤ文化論

私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)

私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)

正直、内容がよく分からなかった。
部分的に分かるところもあるのだが、具体的なユダヤ人の考え方、というものが分からない
ので、そこに乗っかっていけないのだ。


当たり前だが、日本で生まれ、日本で育った私はユダヤ人と直接話したこともないし、
ましてや恨みを持ったりもできない。
私は頭が悪いから、抽象的な怒り方というのができないのだ。
だから、ユダヤ陰謀論については、考えることができずにいる。


これは、中国人や韓国人についてもそうで、自分がひどい目に遭わない限り、本当に腹を
立てることはない。もっとも、潜水艦でうろちょろされたり、ミサイルを飛ばされたりする
のは困ったことだと思うけど。


それはともかく。
私がユダヤ人でイメージするのは、米国の映画監督・俳優のウディ・アレンである。
彼の作品は、自分がユダヤ人であることを過剰に語っている。
あの理屈っぽさがユダヤ人の考え方なのだろうか? 


ちなみに、ウディ・アレンの映画で私が最も好きなものは

である。
最後のシーンで、付き合っている女の子に「変わらないものもあるのよ」と言われたときの
ウディ・アレンの顔のアップは、そのままフェデリコ・フェリーニ監督の「甘い生活」の
ラストシーンに重なる。


もうひとつ、米国のユダヤ人の生活が描かれた作品を紹介する。

僕たちのアナ・バナナ [DVD]

僕たちのアナ・バナナ [DVD]

である。
エドワード・ノートンが神父、ベン・スティラーがラビで、二人が同時に一人の女を好きに
なる、という内容だ。
神父は生涯独身でなければならず、ラビはユダヤ人の女性としか結婚できない、という戒律
があって、そこをジタバタするのが見所である。


言うまでもないが、米国のショウビジネス界はユダヤ人だらけなので、いちいち名前を挙げて
いればキリがない。
ノーベル賞受賞者も異常に多い。


本書では、なぜユダヤ人たちがイノベーティヴな活躍ができるのか、という問いに対して、
ひとつの仮説を語っている。
それは「自分が現在用いている判断枠組みそのものを懐疑する力と『私はついに私でしか
ない』という自己緊縛性を不快に感じる感受性」があるからだそうだ。(←分かる?)


なお、ハリウッド映画では、繰り返しホロコーストの悲劇を物語っており、日本でも多くの
人はユダヤ人が被害者である、と思っているのではなかろうか? 
その一方で、現在レバノンの市民を爆撃しているのも、他ならぬユダヤ人だ。


私には、素晴らしい映画や音楽を作るユダヤ人と、パレスチナ人を虐殺しているユダヤ人が
頭の中でぼんやりと浮かんでいるだけで、決して一致しない。
受難の歴史を歩んできた人々は、復習する権利を有するのでしょうか?