態度が悪くてすみません

「態度が悪くてすいません」で検索したら引っかからなかった。そうか、
「態度が悪くてすみません」だったんだ。
本の題名を正しく書けなくて、すいません。


この本は、さまざまな媒体に書かれている、さまざまな主題のエッセーをまとめた
ものだ。中には本人が初出誌を忘れているものもある。
いわば、レコードのB面コレクション(←言い方が古いね)のようなものである。


とはいえ、面白いことには変わりがない。
ほら、カステラの切れっ端の方が、本体より旨かったりするでしょ? ああいう
感じだと思っていただければよろしい。


私が、ほほうと思ったのは「喧嘩の効用」というエッセーだった。
引用する。

私たちの世代は「教養主義」最後の世代である。教養主義というのは、ひとことで
いうと「好き嫌い」に小うるさい理屈をつけずにはすまない性向のことである。
自分の個人的な「好き嫌い」を個人的嗜好のうちに踏みとどめることができず、
それを「良い悪い」という一般的な当否の水準で論ぜずんば止まず‥‥という
ところまで暴走してしまうのが教養主義の一側面なのである。


だから、音楽のようなきわめて趣味的なものについてさえ(どうせ誰かの受け
売りに決まっているのだが)えらそうに「あれはダメだ、あんなもんなロックじゃ
ない」とか「あんなコマーシャルなものはジャズとは言えぬ」というような断定を
好んだのである。


教養主義の時代とは、おのれの個人的嗜好についえさえ、つねに「政治的」承認を
求めずにはおられない、大変面倒な時代だった。

(中略)

面倒ではあるが、それはそれなりによい点もあった。
というのは、「これはよい、これは悪い。なぜならば‥‥」という「理屈」を言わ
なければならなかったからである。理屈をこねるためには、主題となるところの
楽曲やそれと対置されるところの楽曲群について、やはり全体の「マップ」と
いうか、一望俯瞰的な視座からの包括的評価というものが求められたからである。


これが「いい作品」で、この辺が「まあ許容範囲」で、この辺は「絶対許せない」
というような大所高所からの俯瞰的記述というものがどうしても必要とされた
のである。


その限りでは、自分が興味のない音楽も「勉強」のために聴かなければならなかった
し、それらの音楽について批評的に語る「共通の語法」もまた習得しなければなら
なかったのである。


好みについて理論的に語ってみるというのは思いがけなく大仕事で、「ぼくは
ナントカが好きだなあ」というようなことをうかつに言うと、「おまえはナントカが
よいというが、しからばナンタラカンタラはどう評価するのであるか」というような
突っ込みが必ず入るわけである。


そう言われると「えっと、それは、聴いてないんだけど‥‥」ということになると、
最初の「ナントカがいい」という判断そのものの信憑性が陰るわけである。そういう
「突っ込みどころ」をお互いに探し、そこを狙ってやりこめたり、やりこめられたり、
ということがあったわけである。


おそらく、今の子どもたちは「私はこれが好き」「私は聴いたことないな」でたぶん
終わってしまっているのではないだろうか(学生たちの音楽についての会話を聞いて
いると、たしかにそういう感じがする)。だから「論争」にならない。「好き嫌い」は
論争にならない。「良い悪い」を言い出してはじめて論争になる。論争になるから、
言い負かされないように、あれこれ聴き比べ、それらについての批評的な文章も
読み漁る。


それが「教養としての音楽」というかたちである。たしかに芸術作品を享受する仕方
としてはきわめてゆがんだものであることは事実だけれど、音楽聴取についての、
「自分にとっての自然」以外に、さまざまな聴き方や価値基準があるということを、
外形的にではあれ学ぶことができたのは、決してムダではなかったと今では思う。


この後、喧嘩というのは「勝ち負けについてのルール」が共有されていなければ
ならない、という話に続くのだが、それは本文で確かめてほしい。


私が、引用した箇所で思ったのは、意外な場所で教養主義が生き残っているのでは
ないか、ということだった。
もう、ピンときた方がいると思うが、巨大掲示板2ちゃんねるである。


ここは、どういうわけか価値観の優劣が、非常にしつこく語られている場所だ。
論争になると、「お前は○○も知らないのか」などというフレーズの応酬になる。
おそらく、リアル世界では個人こじんが閉じていても、ネット世界では論争の嵐が
吹き荒れているのではないか。


もっとも、ネットはすぐに関係性を切ることができるから、友人と論争するような
一種の鬱陶しさはない。
だから、若者全体としては、教養の底上げがなされてない、という指摘は正しいと
思う。


あと、炎上しているブログなどを見ると、リアル世界では袋叩きにされるような
ことは滅多にないよなぁ、と思う。
昔は左翼の学生がつるし上げていたらしいけどね。


【付録】内田樹のオールタイムベストマンガ10
エースをねらえ!
綿の国星
日出処の天子
ガラスの仮面
パタリロ!
・おそろしくて言えない
動物のお医者さん
・銀のロマンティック‥‥わはは
・平成よっぱらい研究所
バガボンド
ホムンクルス


11個あるじゃん(笑)
白泉社のマンガが多いのは、たぶん内田樹のお嬢さんが「LaLa」と「花ゆめ」を
愛読していたからだと思われます。
前にも書いたが、ぜひ藤田和日郎の「からくりサーカス」を読んでいただきたい
ものだ。