乱世を生きる

乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない (集英社新書)

乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない (集英社新書)

結論っぽいことで「我慢は現状に抗する力である」と書いてあって、これだけだと
何のことやら分からないと思う。


私がぼんやりと思っていたのは、経済というのはエッシャーの騙し絵みたいなものだ、
ということだった。
本当はどっかで矛盾してるんだけど、なんとなくそう見えていて、みんながそう思ってる
んだったら、現実もそんなものかな、というイメージ。


実際は、ちゃんと流れがあって、経済というのは動いているものなんだけど、もはや
規模が大きすぎ、複雑すぎるので、エコノミスト以外はよく分からないことになっている。


それは何かおかしいので、ちょっと自分で考えてみようじゃないか、というのがこの本の
スタンスだと思う。


で、フロンティアを失った経済というのは、必要なものを作っているものではなく、
欲望にあわせて動いているものだよね、という鋭い指摘をしている。
このことで思い出すのは「欲しいものが、欲しいわ」という糸井重里のコピーであり、
「他人の欲望を、欲望する」という<動物化するポストモダン>で東浩紀が看破した
言葉である。


だから、ちょっと立ち止まって、欲望を垂れ流す=我慢ができない、というサイテーな
人間にはならないでおこうよ、という話になっているのだった。


いかん。私はすでに欲望を止めるネジがゆるゆるになっている。
我慢できるのはセックスぐらいなものだ。
開放したら、単なる犯罪者だもんな。