逃亡者 木島丈一郎

以前、映画「容疑者 室井慎次」のことを書いたときに指摘したのだが、木島丈一郎という
キャラクターは「踊る大走査線」(以下「踊る」)の世界にフィットしていないと感じる。
なぜか? 


それは、彼だけが「踊る」以前の刑事ドラマの設定だからだ。
「踊る」が画期的だったのは、実際の取材に基づいた組織捜査や警察官僚のリアルさを
描いているからで、刑事も公務員の一人にすぎないことを前提にしている。


一方、「太陽にほえる!」や「あぶない刑事」、あるいは「古畑任三郎」などに代表される
かつての刑事ドラマは、ほぼ単独で捜査・推理をしており、官僚組織の一員である自覚は
ほとんどない。あえて言えば、ヒーロー度が高いのである。


そして、木島丈一郎は、まさに組織からはみ出した男であり、ほぼ単独で捜査・推理を
している。このタイプの刑事は、逮捕時になぜか乱闘することが多い。今回も最後に
ありえないぐらい暴れていた。


せっかく現実的な公務員ドラマを作っていたのに、なぜ旧タイプの刑事を投入したのか
よく分からない。青島というキャラクターを失った代償なのだろうか? 


余談だが、昔の邦画ではきちんと組織捜査を描いていた。
黒澤明監督の「天国と地獄」や野村芳太郎監督の「砂の器」は、ちゃんと捜査会議の
場面があり、刑事のヒーロー度は低かった。


なぜ、70年代のテレビで刑事ドラマは変質してしまったのか。
私の直感では、高度成長により組織的な行動に縛られた人間が、一匹狼の刑事ドラマに
開放感を求めたのではないか、と思うのだが‥‥。