BSでロビン・ウィリアムズ追悼のため「グッド・ウィル・ハンティング」を
放送していたので、17年ぶりに見た。
当時も今も、いい映画だという評価は変わらないのだが、オッサンになって
見たら、取り残されたベン・アフレックたちはどうなるんだろう、と思った。
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米国では、学歴が生活を分断している。
勉強ができるかどうかは、自己責任とされている。
頑張った人だけが豊かな暮らしを享受できることになっている。
ベン・アフレックとマット・デイモンが書いた脚本では、貧困層に天才がいたら
どうなるか、というアイデアを膨らませている。
虐待によって心を閉ざした天才は、妻を亡くしてやはり心を閉ざした心理学者
によって社会と向き合うきっかけをつかむ。
もし、この心理学者をロビン・ウィリアムズが演じていなければ、映画はかなり
つまらないものになっていただろう。
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私には、マット・デイモンは、天才だから救われたのではないか、という疑問がある。
特殊な才能がなければ、下流の生活に甘んじるしかないのだろうか、と。
ほとんどの米国人はマット・デイモンではなく、脇役のベン・アフレックである。
皮肉なことに、ベン・アフレックが演じる階層にいる米国人は、「グッド・ウィル・
ハンティング」のような映画を見ない。
たぶん「メリーに首ったけ」みたいな映画を好むはずである。
ということは、「グッド・ウィル・ハンティング」はお上品なインテリがちょっと
感動する映画、ということになる。
そして、ベン・アフレックのような人々が生活していることは、映画を見終わったら
忘れてしまうのだ。
実は、義務教育がもっとしっかりしていれば、富裕層と貧困層に二分された社会
ではなく、分厚い中間層が形成されるのではないか、とも思う。
これは米国のみならず、米国型の資本主義社会の欠点だろう。
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ところで、この映画には誰も銃を持っている場面がなかったが、ボストンの
貧困層には銃が普及していないのだろうか。
あと、マット・デイモンが恋人を追ってカリフォルニアにクルマで向かう
場面で映画は終わるのだが、彼はどのくらいお金を持っていたのだろう。
ボストンからスタンフォードまでのガソリン代がどのくらいかかるか
分からないが、宿泊代も含めて5万円ぐらいは必要なのではなかろうか。
……こういうアラ探しは、映画の価値を貶めることになるから、もう
やめよう。