私はこれまで飛行機を利用するときハイジャックを試みたことはないし、
おそらく今後も試みないだろう。
ほとんどの人もそうだと思う。
が、ほんの数人のキチガイのせいで、他の全員が手荷物検査を受けなければ
ならない。
かといって、何の対策も講じなければ、再び同じ事件が起きるおそれがある。
そのため、一般の人が面倒くさい手続きを経なければならない。
たとえ過去のハイジャック犯が死んでも、手荷物検査はずっと続くだろう。
では、ハイジャック犯を絶対に生じさせないようにすることは可能だろうか。
旧ソ連のような全体主義国家でも難しいだろうし、コストがかかりすぎる。
やはり手荷物検査に落ち着くしかないのだろう。
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そう考えると、悪いことをした人間は、失敗して捕まったとしても、後世に
拭いがたい影響を及ぼすことができる。
ある意味、やったもの勝ちである。
悪事をはたらいた人間が、捕まって行ったことに対する罰を受ける。
当たり前の話だ。
しかし、それ以上の害が、うっすらとではあるが後の人に及ぶ。
この理不尽をどう考えたらいいのだろうか。
模倣犯が現れる可能性があるとき、事前にそれを察知できない場合は、関係者
全員に容疑がかかる。それが空港の手荷物検査だ。
航空会社も空港も乗客も、全員が損をしている。
これは感染症に対するワクチン接種と同じだろうか。
理想的には、健康な人全員にワクチンを打てば、少なくとも爆発的な感染は
防ぐことができる。そういう手間をかけても、人命は守らなければならない、
という発想が通底しているような気がする。
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もし、新幹線に爆発物を仕掛ける事件が起きた場合、乗る前に手荷物検査を
しなければならなくなるだろうか。
しかし、地下鉄サリン事件があったが、地下鉄を利用する人に手荷物検査を
することはなかった。あまりにも乗客が多くて不可能だからだ。
新幹線もそうだろう。
ということは、人命よりもコストを優先させているのではないか。
飛行機は飛んでいるから対処が難しいので、手荷物検査をやっているのだ、
と反論されるかもしれないが、事故が起きて失われる人命の価値は同じだろう。
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アイドルの握手会はどうか。
世間に与えるインパクトはともかく、ハイジャックと比べると被害は少ない。
手荷物検査は緩和してもいいのではないかと思う。
これもコストの関係で、いつまでもやり続けることはないだろう。
それよりも、人を襲おうとした奴を瞬時に叩き伏せることができる警備員を
増やしたほうがいいのではないか。
そういう人間を簡単に増員できないとは思うが、養成する必要はあると思う。
……それって、単なる正義の味方ではないか。
現実にそんなヒーローは存在しない以上、我々は面倒くさいことを受け入れ
なければならないのである。