Boaz2012-08-20

四国八十八ヶ所の51番札所、石手寺でお施餓鬼法要があった。
小中学生のときは近所に住んでいたので、そのころから毎年
この時期にお参りをしている。


こういう霊的なものに、わけもわからないうちから触れている
のは、案外と健全なことなのだろう。
縁日の方が楽しそうでも、なんとなく響いてくるものがある。


例えば、線香の匂いだったり、読経の輻輳する声であったり、
何かを一心に祈っているお婆さんの姿が、この世ではない何か
の存在をおぼろげに伝えているのだと思う。


餓鬼に施す、という字のとおり、もともとは餓死した人の魂を
弔う儀式だったのだろう。
石手寺では、震災に遭われた不幸な人や世界平和に対して祈念
している。


私も手をあわせて拝んだのだが、数分後には、昨日ネットで
落としたエロ動画のおっぱいを脳裏に浮かべていた。
煩悩とはなんと禍々しいものだろうか。