先週の土曜日に放送された「すべらない話」をようやく見た。
無駄なギャラリーはともかく、話の内容はとても面白かった。
あれを格闘技に例えている人が多かったが、別に誰かと戦っているわけではない。
強いて言うならば、ジャズのセッションである。
ジャズで連想すると、笑福亭鶴瓶がチャーリー・パーカーで、松本人志はマイルス・デイヴィスか。
何となくそう思っただけだが。
サイコロの目が出た人がネタを喋っている間、その他の人は何もしていないように見えるが、実は
いいところで相槌をうったり、ピーク時に笑いながら台詞をリフレインしていたり、フィニッシュ
時に話をまとめたりしている。
この阿吽の呼吸は、打ち合わせをしていないジャズの演奏のようにスリリングだ。
ジャズには名曲はなく名演がある、と言われるが、トークもそうだろう。
「すべらない話」で爆笑したネタを私が喋っても、誰も笑わせることができない。
同じ内容でも、イントロから話の膨らませ方、ピーク時の決め台詞など、芸の技能がないと確実に
すべる。だから、出演者たちは吐くほど緊張するのだ。
そして、放送をよく見ると、基本的に敬語で喋っている。
これは誰に対して喋っているかというと、先輩の芸人に対してである。
先輩の芸人とは、この番組でいうと松本人志だろう。
では、タメ口のトークと、先輩に聞いてもらうトークでは何が違うのか?
番組の形式が違ってくるのである。
タメ口のトークは、誰でも話の途中で突っ込んだりして参加できる代わりに拡散しやすい。
きれいなオチに持って行きにくかったり、まったく別の展開になることもある。
一方、先輩に聞いてもらうトークは、終わりまで誰も邪魔をせずに聞かなければならないが、
きっちり自分のペースで話を収めることができる。
タメ口トークの代表は今でいうと「きらきらアフロ」だろうか。
オセロ松嶋が鶴瓶に対してタメ口なのも、フラットな関係のやりとりの方が自由度が高く、話が
予想もつかない面白い方向へ転がるからだろう。
その点、「すべらない話」は最初からオチが決まっているので自由度は低い。
よって、構成が最も大事になる。
本番中、実話とはいいながら場の空気を読んで、描写を強調したり付け加えたりしているはずだ。
その即興性が、話す本人にとっても意外だったりして、よけいに面白くなるのだろう。
出演する芸人が圧倒的に関西人なのは、日ごろトークの即興性を鍛えているからかもしれない。
私は関西芸人=黒人説をとなえる者で、米国の音楽を進化させた人々と、日本の笑いを進化させ
た人々の立ち位置は、リスペクトや差別を含めて、同じなのではないかと思っている。
そして、こういう番組を楽しむことのできる国に生まれて幸せだなぁ、としみじみするのだ。