- 作者: 藤田和日郎
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2007/04/27
- メディア: コミック
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もう、それだけでいいじゃんと思うのだが、なんか感想をひねり出してみる。
藤田和日郎が青年誌(スピリッツ)に連載したのは初めてだと思うが、物語の熱さは少年誌の
ままである。
現在、モーニングで連載中の「黒博物館」も同様で、「正しいものが勝つ」話を描いている。
掲載誌の読者層が変わっても、伝わるメッセージは変わらない。
同じ作者なのだから、当たり前だけど。
そうすると、なぜ藤田和日郎は青年誌で描くことを選んだのだろうか。
もし、残酷な描写があるから少年誌では描けないという事情があるとしたら、読者にとっても
作者にとっても不幸なことだと思う(私が勝手に想像しているだけだが)。
少年マンガと青年マンガの決定的な違いとは何だろう、と考えると、ひとつは「強さの制御」が
あるかないかではなかろうか。
もちろん、性描写の違いもあるけれど、少年マンガを駆動させているのは、リミッターの外れた
強さへの欲望ではないかと思うのだ。
少年ジャンプ的なマンガが典型だけど、主人公と戦う相手がどんどん強くなってゆき、強さのイ
ンフレーションが起こって物語が破綻しそうになることがよくある。
これは欠点ともいえるが、もしインフレーションが起こらなければ、盛り上がりのないマンガに
なってしまい、読者の人気は集められないはずだ。
一方、青年誌では設定をリアルにすることで、主人公や敵が無制限に強くなったりしなくなる。
その抑制が作品に深みを与えるのだが、これは読者もあるていど大人にならないと分からない面
白さだろう。
藤田和日郎は、少年誌の連載でそのあたりの盛り上がりをうまくコントロールしていたと思う。
連載中にどんどん敵が強くなっていくが、大きな物語の流れにうまく吸収されて、読者を感動さ
せていた。
(「からくりサーカス」では、設定のほころびを指摘されていたが、私はささいなことだと思う)
この「邪眼は月輪に飛ぶ」は一巻ものである。
少年誌の長期連載ならば、ワンエピソードのひとつになる話だ。
その証拠に、物語のラストでは次の事件が発生し、主人公たちがそれを解決していると思しき写
真が描かれている。
なので、描こうと思えば、フクロウよりも強い敵が現れる話だって描けるはずだ。
だが、そうすると少年誌的なインフレーションが発生し、強さの抑制は失われる。
鵜平老人の死を賭した射撃が、エピソードを重ねるごとに薄れていくのである。
それを分かった上で、ああいうラストにしたのだろう。
できれば、藤田和日郎には、ガタガタになった少年サンデーに復帰して、血沸き肉躍るストレー
トな少年マンガを描いてほしい。
しかし、曽田正人や久米田康治に続いて藤田和日郎を失った少年サンデーは、まだまだ迷走を続
けるしかないようだ。
私はもうオッサンなので、オッサンの目で藤田作品を読んでしまう。
だが、少年たちにとっては少年のうちに出会うべき作品があり、藤田和日郎のマンガはそのひと
つだと思うので、少年誌でもうひと花咲かせてほしかったなぁ、と思うです。