太陽の塔

松山ではテレビ東京系が映らないので、首都圏に住むRに「ハロモニ@」を録画してもらい、
ときどき送ってもらっている。ありがとう、R。
そのDVDの箱に、いつも何冊か本が入っている。
その中の一冊がこれだった。

太陽の塔 (新潮文庫)

太陽の塔 (新潮文庫)

私はそのときまで、森見登美彦という人を知らず、たぶんRが送ってこなければ一生読まなか
ったかもしれない。ありがとう、R。


太陽の塔」は、振られた男の怨念と妄想を面白おかしくつづった作品である。
主人公たちは京都大学の学生で、舞台はほぼ京都市内だ。
作中には、これでもかというほど京都の地名が出てくる。私はグーグルマップで場所を確認し
ながら読んだ。


高校の同級生で、立命館大学に進学した友だちがいて、私は夏休みや冬休みにときどき遊びに
行っていたから、少しは京都市内について知っている。
そういう土地勘があれば、この小説はぐっと身近に思えるはずだ。


でも京都が舞台というのは、なんかずるいと思う。
いや、ずるいというのは悪口になってしまうな。上手いと言った方がいいか。
東京だと、京都規模の盛り場がいくつか点在しているため、話のフレームがビシッと決まらな
いことがあるが、京都だとコンパクトに集約されているためブレがない。
いわば、街で青春してもおかしくはないのである。


もし東京で同じような話を作るんだったら、例えばエリアを高田馬場限定にするとか、本郷限
定にしなければならず、なんでそんなに同じ場所ばっかりで話が進むんだ、という突っ込みが
入るだろう。
また、京都より小さい街だと、妄想に点火するようなものが乏しく、物語が痩せてしまう。
つくづく、うまい舞台を選んだなぁ、と感心する。


主人公は京都大学の五回生である。
この「*回生」という言い方は関西特有のもので、それ以外の地域では普通「*年生」という。
順調に進級すればどちらでも違いはないが、留年したり休学したりすると自動的にカウントされ
るのが「*回生」の便利なところだ。
つまり、同じ学年でも先輩なのがすぐ分かるのである。


で、その五回生の主人公は、三回生のとき後輩の水尾さんという女子とつきあって、四回生のと
きに振られる。話し合いの末、紳士的に別れたそうだが、主人公は未練たっぷりで彼女の後をつ
け回す。が、本人の主観では決してストーカーではなく「水尾さん研究」だという。


エリートは現実ではなく脳内の理屈を選ぶらしい。
このあたり、小谷野敦の「もてない男」を連想するが、片思いで終わるというわけでもなく、ち
ゃんとつきあっているのだから、関連付けるのは間違っているかもしれない。


その後、水尾さんをつけ回すもう一人の男が出現し、話は転がっていきそうになるが、どうもよ
くわからないままになる。
それより、主人公の友人たちが全員とても濃い人たちなので、彼らの描写の方が面白かった。


さて、この小説では水尾さんは回想か伝聞でしか登場しない。
現実に主人公の目の前に現れて会話するのは、植村嬢という女性ひとりだけだ。
主人公は彼女を秘かに「邪眼」と呼んでいる。
要するに怖いのである。


他にも女は出てくるが、私が思うに主人公の女性観は、水尾さんのような「わけのわからない
生き物」か、植村嬢のような「恐ろしい生き物」の二種類ではないかと思う。
たしかに、女はわけがわからない&恐ろしい生き物である。


結局、主人公が水尾さんという女とつきあって分かったことは、彼女が太陽の塔を偏愛するが、
招き猫は嫌いである、ということだけではなかったか。
主人公が持っているその思い出は、叡山電車によって水尾さんとつながっているのではないか。
幻想的な場面を、私はそのように読んだ。


クライマックスは、恋愛ファシズムを破壊すべく、四条河原町でクリスマスのムードをぶち壊す
場面だ。狂騒的な描写にスカッとした。
繰り返し恋愛を呪詛する主人公たちの言葉は、きっとモテない若者たちに勇気を与えるはずだ。
非モテのバイブルとなる日も近いのではないだろうか。


ところで、冒頭に出てきたRは、以前「NHKにようこそ」をいきなり送りつけてきた男である。
こんどは「太陽の塔」だった。
いったいどういう目で私を見ているのだろう‥‥


本文と写真はまったく関係ありません

川 ´^`)<芸術は爆発やー!