- 作者:釈 徹宗
- 発売日: 2020/09/17
- メディア: 新書
指摘した人がいたらしい。
本書を読むと、いかに先進的な考え方だったかがよく分かる。
彼を明治時代に再発見した内藤湖南も偉い。
ところで、なぜ仏典はこれほどバリエーションがあるのだろう?
一神教の聖書にもバリエーションがあるのは知っているが、
ほぼ1冊に集約されている。
「この聖書に誓う」という儀式が成り立つのは、一冊の本で
あるからだろう。
ブッダは口伝でしか教えを残さず、弟子が口伝えでそれを継承
していたという。その時期が200年ほどあったので、様々なものが
混ざってしまったのではないか。
その後、パーリ語やサンスクリット語でまとめられたものが、
漢訳されて中国から日本に持ち込まれる。
この時点でもう膨大な量になっている。
そこからどの経典を重視するかで次々と宗派が別れて今に
至っている、という理解でよろしいか。
↓
一神教文化圏だと、聖書からの引用、みたいなのが普通にある。
キリスト教圏の文学や映画ではおなじみだが、おそらくユダヤ教や
イスラム教も同様だろう。
が、お経を引用する、みたいなのは見たことがない。
そもそも普通の人が知っているお経というのが、般若心経ぐらい
しかなかろう。
せっかく奥深いことが書かれてあるのに、もったいない。
仏教界が初期仏教までさかのぼって、コンパクトな一冊の経典を
まとめてくれたらいいのに、と思う。
後期の仏典のような難しいのではなく、ブッダの口伝のような
ものがいいのではなかろうか。