分かった。
その中には、単に中二病をこじらせたような奴らもいれば、新自由主義や
リバタリアニズムをもとに政府のやり方に反対する奴らもいる。
いずれにせよ、米国が移民の国で、黒人奴隷を連れてきた歴史を忘れて
いることは共通している。
本書で「ペイリオコン」という言葉を知った。
原保守主義者(paleoconservative)という意味らしい。
ペイリオコンの特徴は「黄金の50年代」と称される第二次世界大戦後の
社会を、将来回帰すべき理想と捉える点だ。その根底には、米国が戦後の
繁栄を謳歌し、公民権運動以前の、白人のミドルクラス(そしてキリスト教)
中心の社会秩序を維持していた時代への郷愁がある。そして、その米国を
破壊した要因としてグローバル化(自由貿易、移民の流入、多国間枠組みなど)
が槍玉に挙げられる。(p16)
これは日本会議の連中が敗戦前の時代を理想としているのに似ている。
考え方に柔軟性がなく、環境に適応できない人々がすがりつく物語だ。
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白人至上主義の白人の定義も、どうもよく分からない。
中国系や日系などアジア系への脅威論(黄禍論)が盛んだった二十世紀初頭、
アイルランド系や東欧系、南欧系の白人は必ずしも「白人」とは見なされて
いなかったのである。(p78)
とあって、もはやマイノリティならば誰でも差別していた感がある。
そもそもユダヤ人は白人と見なされていないし、だったらあいまいな白人と
いう表現はしないでほしい。
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終章では、トライバリズムの時代、という部分が示唆的だった。
トライバリズムとは、ここでは人種や民族、宗教、ジェンダー、教育、所得、
世代、地域などの差異に沿って、各自が自らの集団の中に閉じこもることを
指す。それだけなら目新しくはないが、最近の問題は自らの部族を「被害者」
「犠牲者」と見なし、他の部族を制圧しようとする点にある。ソーシャル
メディアがこうした傾向を助長している。
政治的指導者は国民融和を目指すのではなく、特定の部族(=支持基盤)の
利益のみを重んじ、抗う部族を徹底的に敵視する。そのためには、専門家の
知見をものともせず、然るべき手続きや不文律も軽んじ、そのことを「強い
指導者」の証として誇示する。対外的にも同じで、多国間主義を疎んじ、
自国第一主義を鼓舞する。(p189)
後半の部分はほぼ安倍政権そのままである。
もっとも日本は米国の属国なので、トライバリズムにも一捻りあるが。
部族という単位でしか考えられない人が増えたのはなぜなのか。
私は、新自由主義が猛威を奮っているからではないかと考える。
ノーベル経済学賞の選考委員たちはフリードマンやハイエクに与えた
賞の撤回をすべきではなかろうか。