- 作者: 中川右介
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2017/11/13
- メディア: 新書
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1980年ごろまでのヒットチャートを軸に詳細に記述している。
自分が小中学生だった時代なので、知っている歌がたくさん出てきて、
思わず口ずさんでしまう。
もっとも松山でTBS系がネットされたのは1990年代からなので、「ザ・
ベストテン」は見ていない。しかも親がNHKばかり見せようとする人
だったので、ああいう歌番組はあまり視聴できなかった。
それでも知っているということは、いかに当時の歌謡曲に力があった
か、ということの証拠でもあろう。
本書には、100万枚を超えるセールスを記録したシングル盤がいくつも
挙げられているが、現在のミリオンとは重みが違うのである。
↓
私は阿久悠と交代するように松本隆が現れたと勘違いしていたが、
実は二人は同時代に作詞していたと知った。
本書では
阿久悠は外部からの途中参入ではあったが、歌謡曲の枠組みのなかで生きるようになると、
そのなかでしか改革をしようとしなかったのに対し、松本隆はその出発点が歌謡曲を中心と
する日本の音楽しーんのなかでは異端であったから、枠組みから自由だった。ニューミュー
ジックが歌謡曲に侵攻し、制覇していくのを助けながら、松本隆は歌謡曲の中枢たるアイドル・
ポップスにニューミュージックを取り入れ、音楽業界をいったん解体させ、ジャンルを無意味化
させる。その果てに何があるのかは分からないが、情緒過多で説明過多で大仰な歌と決別させる。
それは同時に「時代と寄り添う歌」の解体であり、時代そのものの解体でもあった。
阿久悠は時代を掴めなくなったのではない。「時代」なるもの、あるいは「大衆」と
いうものが解体され、存在しなくなったのだ。ないものはいくら天才・阿久悠でも
掴めない。
時代から超越したところにいち早くポジションを確立した松本隆は、時代を俯瞰し、
時代と寄り添わないことを心がけながら、歌を作っていく。
(p333-P334)
とある。
みんなが知っている歌というものがなくなっていく過程で、阿久悠も活躍の場を
失っていったのだろう。
↓
松田聖子が結婚、出産で活動を停止してからは、松本隆も長い休暇をとったようで、
私はどこかのインタビューで読んだことがあるが、その当時はチェリビダッケの
追っかけをしていたそうである。なんと優雅な人生か、と羨ましかった。
(セルジュ・チェリビダッケはクラシック音楽の指揮者で、滅多に録音をしない
ので、演奏を聴くにはコンサートに行くしかなかった)
↓
その後、歌謡曲の作詞は秋元康の時代になるのだが、私はつんくこそもっと
評価されるべき人ではないかと思っている。
この本の著者は彼らについて何か書いてくれるだろうか。