純文学とは何か

たしかどこかで読んだのだが、猫猫先生は分類が大好きな人だそうだ。
なので、小説を雑に分類されていることには我慢ならないのだろう。


通読すると古今東西の文学作品が縦横無尽に出ていて、ほとんど読んで
いないので自分の無知にがっかりするのだが、第七章のマンガやラノベ
くだりだけはよく分かった。
これだけ懇切丁寧に書いてくれているのに、申し訳ない。



私がリクエストしたいのは、様々な作品をベン図か四象限図で見やすく
分類してくれたらなぁ、ということだ。
純文学かどうか微妙な作品が、どのあたりにあるのかひと目で分かると
思う。


もうひとつは、純文学の文章というのが具体的にどのようなものか、
引用してほしかった。
あるいは、猫猫先生の小説でもいいので、純文学の文章で書くとこう、
通俗小説だと同じことでもこう書ける、という例があったら分かりやす
かったのではないかと。
(それはもう「文章読本X」で書いてある、ということでしたら、読んで
ないので、すいません)



あと、私が予備校で現代文を教えていたとき、延々とセンター試験
国語の過去問を解いていたことがあったのだけれど、センター試験
出題される小説の問題は、純文学が多いのか、それとも通俗が多いのか、
というのも調べたら面白いかも、と思った。


まったく小説を読まない若者も、大学受験のときだけは問題文を真剣に
読むだろうから、もしかしたらセンター試験で出題された小説はその年に
最も読まれた文学作品かもしれない。



これはどうでもいい余談だけれど、昔はポピュラー音楽でも、これは
ロックである、これはロックではない、という論争があったそうである。
ポピュラー音楽なので、そのうち売れるものが正しいということになって
話はうやむやになったそうだ。


おそらくクラシックから現代音楽みたいな方向に行ったのは、プログレッシブ
ロックと呼ばれるジャンルだと思うが、衰退してしまった。



もはやポピュラー音楽でさえ、みんなが知っているあの曲というものが
なくなって、それぞれ細分化された蛸壺で聴いているのだろうな、と
紅白を見ていて思う。
小説はずっと前からそうなっていたのだろう。


「社会に役に立たないものは不要だ」という柳田國男のような奴が
のさばってくると、文化的に痩せてしまうと思うのだが、タバコを
この世からなくそうとする人がいる時代なので、もはやどうしようも
ないのかもしれない。