昨日、母方の祖母が亡くなった。
1906年生まれなので、大往生である。
調べたらショスタコーヴィチと同い年だった。


祖母には7人の子供がいて、亡くなっているのは長男だけなので、長生きの
家系だろうと思う。
しかし、遺産を巡って骨肉の争いがあったらしいので、長生きすればいいと
いうものでもなさそうだ。


お通夜では5年ぶりぐらいに従姉妹と会って話をした。
もう、お葬式ぐらいでしか集まることもなく、おそらく次は私の父の葬儀の
ときに会うのだろう。



伊丹十三の映画「お葬式」の最後の方で、火葬場の煙を見ながら、死ぬなら
春だな、としみじみ言うくだりがあったのを思い出した。


死ぬ人間にとっては季節がいつだろうと関係ないが、送り出す側にとっては
過ごしやすい季節の方がいいだろう。
私は春よりも秋のほうが好きなので、死ぬなら10月中旬ぐらいがいい。
一番困るのは真夏だろうか。


そういえば私は夏用の喪服を持っていない。
ちゃんと用意するのもどうかと思うので、真夏に誰か死んだら慌てて作る
ようにしよう。


ちゃんと社会に適応して半世紀ぐらい生きていたら、たぶんもっと前に
夏用の礼服を作っているのだろう。
なにしろ結婚式に出席するより葬式の方が多いのだから、我ながら情けない
人生だ。