反米という病 なんとなく、リベラル

天皇制を認める九条護憲派を批判する内容である。


私は現実に対応するため、自衛隊を認めて憲法を改正してもいいと思うが、
天皇制を廃して共和制にしたいとは思わない。


理屈から言えば、近代は身分制を否定するものであるが、天皇制はあった方が
便利だと思う。家に伝統ある応接間があるなら壊さなくてもいいじゃないか、
という感じだろうか。
共和制にするとどんないいことがあるのか、よく分からない。
(善悪とか損得ではなく、理論的にそうなるのだ、という話だとは思うが) 


また、本書では欧州の君主制の国でのリベラルはどうなのか、という話が
ほとんど出てこない。
英国やオランダやスペインの左翼は日本と違っているのかどうか比較して
もよかったような気がする。


 だから、一元的な価値観が全世界を覆うのは憂うべきことである。これに対しては、
きちんと批判、反論していけばよい。ネオリベラリズムとかネオコンとか言われて批判
されるが、これにしても、国家間の距離が、飛行機やインターネットで情報的に狭まって
いる以上、自由主義経済の中でさまざまな問題が発生するのは避けられない。だがそれは
個別に問題にしていけばいいのであり、反米を叫んでも何にもならないことである。
(p 116-117)

この部分は私もそうだと思うのだが、はたして個別に問題にできるのだろうか、
という疑問もわく。
外圧というものは、米国政府からかけてくるもので、日本はイコールパートナー
ではないからだ。


だからといって、日米同盟を破棄して中国やロシアと手を結ぶことはできない。
国防を負担してもらっているのだから、多少の無理は呑み込むべき、ということ
だとしたら、恨みがたまって反米を叫ぶ人が出てくるのも仕方がないかもしれない。



あとがきによると、本書はもともと新書で出すはずだったけれど、没にしたものだ
そうだ。
猫猫先生の本を愛読する私からしても、ちょっと首をかしげる部分があるので、
出版社の判断も分かる気がする。


それは、“第九章 それでも反米を煽る人々”の「ロシヤ派の策動」である。
ここで筆者は佐藤優をロシアのスパイとしているのだが、事実そうだったと
しても、そういうことを書くこと自体が本書を落合信彦的なものにしている
と思う。


また、古典的なスパイ活動ではなく

日本人に対し、ロシヤについてのいいイメージを植え付ける目的がある

のがロシア派だということを書いているが、それなら米国のイメージを
良くする人だっていくらでもいるが、同盟国だからスパイとみなされないの
だろうか。



とはいえ、猫猫先生は文学に関する記述は抜群に面白くて、“補論 山本周五郎
アメリカ文学”は素晴らしいと思う。


もしかして誤植かと思われる部分があって、258ページ5行目の「源吉は死に」は
「源六」の間違いではないかと。