宗教に関心がなければいけないのか

「はじめに」に書いてあるとおり、宗教について考えなければならない、
ということはなく、宗教が不要だとか悪だとか断定する気はさらさらない、と
いうことらしい。


たぶんこれはインテリ向けの話であって、キリスト教イスラム教や仏教の
聖典を一度も読んだことがない者が、なんだ宗教について考えなくてもいい
のか、と思ってはいけないだろう。
教養として一通りは触れたけれども、合わない人は合わないのだ、という話
だと思う。


ただ、最後の方になると、死ぬのが怖いという話題が出てきたりして、猫猫
先生ちょっと大丈夫か、と思わないでもない。


一か所だけ、どうにも腑に落ちないところがあって、霊魂などないし人は死んだら
モノになる、と言っているのだが

私は母が死んだあと、父親が半分くらいボケていたので、法事を自分でやることに
なったが、そのたびにお布施を払うのがバカバカしくなって、自分で出家しようと
思い、母は浄土宗だったから、法然について調べて、その教義の安直さに呆れて
やめてしまったことがある。(p 74)

とある。


法事をやめるという選択肢はなかったのだろうか? 
世間の付き合いというものがあるから、勝手に決められないことだとは思うが、
どういう気持で浄土宗の法事に出ていたのだろう。
そこだけが気になった。



私が読んだ小説で、どうにもモヤッとして、これはキリスト教徒でないと理解
できないのか、と思ったのは、スティーブン・キングの「呪われた町」である。

呪われた町 (上) (集英社文庫)

呪われた町 (上) (集英社文庫)


最終的に吸血鬼と信仰の対決みたいになるのだが、読んでいてもちっとも響いて
こなかった。キングの他の初期の小説は面白かったのに、これだけはなぜ良い
のかが分からない。


あと、いくつかの外国のホラー映画は、やはりキリスト教徒でないと怖くない
のではないかと思う。
もともと好きなジャンルではないので、あまり見ていないのだが。


それでも、「リング」を見たときは、一人暮らしの部屋のテレビが怖かったから、
怨霊のようなものをどこかで信じていたのだろう。
いま同じような日本のホラー映画を見ても、たぶんあまり怖くないと思う。