我々が買い物をするとき、誰が作ったものかはあまり考えない。
野菜などに生産者の名前が書いていることもあるが、大量生産のものを買うのに、
いちいち誰が作ったのかを確認する意味はない。
それに、牛丼を食べるとき、牛を屠殺して牛肉にしていくところを想像するのは、
精神的にあまりよろしくない。
目の前にあるものは、どこかで誰かが作ったもので、たぶん明日もどこかで
誰かが作ったものが並ぶだろう、と根拠もなく思っている。
それが普通になると、どこかの誰かは自分とは関係ない存在になり、抽象化されて
しまう。
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抽象化されているから、即戦力の人材がほしい、などと考える。
即戦力の人材が、どこかの誰かによって大量生産されているかのように。
だから、少子化で慌てているのは、買い物のときに目の前のことしか考えない
ようにしている人々である。
即戦力の人材を短期間に大量生産できないから、ジタバタしている。
(なので彼らが移民を推奨するのは当然の帰結である)
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手間をかけたからといって必ずしも良いものはできないが、良いものは手間を
かけないと生まれない。
でも、経済の効率化というのは、要するになるべく手間をかけないようにする
ことだろう。
生産性を上げつつイノベーションを起こせ、というのは、なかなか無茶な話で
はなかろうか。