クズと金貨のクオリディア

二人のラノベ作家が、それぞれ男の子の視点と女の子の視点の一人称で
語る、という企画はうまいと思った。


が、その思いつきだけでは面白いものは作れないのだなぁ、とがっかり
した。これは失敗だよ、わたりん。
だって、ヒロインがクズすぎるんだもの。
それとも、若い人なら好きになるのだろうか? 


最初は、ラノベナニワ金融道をやるのか、と驚きながら読み始めたが、
途中でミステリ風になって、最後は「ランダム十字路」が何なのかを
完全に放置して終わっている。


もしかしたら、締め切りを優先させて話を詰めなかったのだろうか。
売れたら2巻以降で話を続けたらいいや、と考えているのであれば、
読者をバカにしている。


貸金業法を知ってんのか、ヒロインの親はどうなっている、など、
突っ込みたいところは山ほどあるが、ラノベにそれを求めるのは
野暮なのか。


とりあえず、クオリディアって何なのかだけ教えてください。



ラノベ作家の文体は、マンガ家の画風と同じものなのか。


例えば、高橋留美子はどんなマンガを描こうと、絵を見たら一発で
彼女の作品と分かるように、作家固有のタッチが存在する。
キャリアのある人はみんな持っているだろう。


渡航も、ぼっちのひとり語り、という文体を手に入れて「やはり俺の
青春ラブコメはまちがっている。」をヒットさせた。


その語り口で「クズと金貨のクオリディア」も書かれているのだが、
同じ文体だと、ファンタジーだろうとミステリだろうと、何を読んでも
同じように感じてしまう。


それが作家固有のタッチだ、と言われればその通りなのだが、渡航
結局「俺ガイル」のコピーしか書けない、と言われる可能性だってある。


同じ文体でも、全く別の物語を書いて欲しいと求めるのは酷かもしれない。
しかし、「クズと金貨のクオリディア」を読む限り、渡航は「俺ガイル」の
同工異曲しか書けないのではないか、と思ってしまう。


「俺ガイル」を完結させたら、しばらく充電してみたらどうだろうか。