- 作者: 佐伯啓思
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2014/01/17
- メディア: 新書
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話題が中心になっている。
気になったところをいくつか引用してみる。
『第二章 空気の支配』より
問題は、天皇制や戦前の封建制にあるのではなく、「空気形成」にあるのです。
かつては効果的に「天皇」をかつぎだす者が「空気形成」の主役でした。戦後
には「国民」や「民意」や「世界」を効果的に唱える者が「空気」を注入して
いるのです。戦前の「天皇制ファシズム」を生みだしたものは、実は天皇では
なく「空気」だったというわけです。そしてその「空気ファシズム」は戦後の
民主主義をもファシズムにしかねないのです。(p 51)
日本に特有と言われる、雰囲気や周りの圧力に従ってしまう「空気を読む」
話のバリエーションで、特に新しい見解というわけでもない。
私が気になったのは、「空気」を注入している人が誰なのか、ということ
である。特定の誰かに絞れないから「空気」と呼ぶしかないのかもしれ
ないが、誰も言い出さなかったら「空気形成」はできないわけで、事後的
にでもいいから責任を明らかにしてほしい。
『第九章 「経済学」はなぜ信用されないのか』より
(前略)70年代前半には、経済学にはいくつかの「流派」がありました。アメリカの
中心部にはシカゴ学派を主軸にする市場中心主義があり、その周辺にケインズ
主義がどっしりと居座り、またマルクス主義の影響を受けたラジカル派と呼ばれる
若い人たちがおり、イギリスにはケインズの弟子たちがケンブリッジ学派という
スクールを作っていました。(中略)
ところが80年代に入るころには、マルクス主義はもちろん、ケンブリッジ学派や
ラジカル派も消え去り、最後まで残ったケインズ主義も力を失い、ほとんど市場
中心主義一辺倒になってしまったのです。どうしてそうなったのでしょうか。
私はその理由は簡単だと思っています。それは、市場中心主義の考えだけが、
もっとも高度な数学を駆使できたからです。(中略)
数学はきわめて論理的であり、しかも体系的です。個人の主観や曖昧さの入る
余地がありません。したがって経済学の理論を数学で表現できれば、経済学は
もっとも高度な「科学」になるはずだと思われたのでした。(p 179-180)
しかし、実際に市場中心主義が猛威を振るったあとの社会はどうなったか。
ペンペン草も生えない有り様である。
シカゴ学派は、金持ちをより金持ちにしただけの詐欺師たちだった。
そのマニュアルをせっせと輸入する日本の経済学者たちも同罪だろう。
強欲な人たちは、生まれた時から強欲なのだろうか。
私の素朴な疑問に、誰か答えてほしい。